ユーラシアを歩く会 行動報告書

The Trans-Eurasia Walking Journey Program

1.計画コース概要                                 提出日:200611. 14

地域分類

ヨーロッパ・中央アジア・東アジア

区間番号

 

国名

中 国

実施期間

069.23〜‘0610.5

計画区間

 

出発地         到着地

甘粛省低窩鋪   甘粛省古浪 

参加人数

 

11

 

2.メンバー表

No

役割・分担

氏   名

 

 

行き

帰り

リーダー

荒井龍男

出発日

200609.23

200610.05

 

土屋淳一

出発場所

成田

 蘭州

 

新井 清

到着場所

杭州

西安

 

森 正昭

使用便名

JL635

 HU7825

会計

甲田征三

航空会社

日本航空

 中国海南航空

 

甲田みつえ

 

出発場所

杭州

 西安

 

結城皖曠

 

到着場所

敦煌

成田

 

住山 茂

 

使用便名

CZ6895

 JL600

記録

山崎 隆

 

航空会社

中国南方航空

 日本航空

 

3.現地での歩行結果

 

年月日

国名

出発〜到着

区間距離

Km

天候

気温

最低/最高

 

1日目

20069.23

日本/中国

成田〜敦煌

    敦煌泊】

0

快晴/曇り

25/33

 

20069.24

中国

午前:莫高窟観光

車にて玉門鎮へ  【玉門鎮泊】

0

曇りのち晴れ

暑くない

 

20069.25

中国

低窩鋪をスタート

嘉峪関の20Km手前 【酒泉泊】

80

快晴

暑い

 

20069.26

中国

酒泉の49Km先まで 酒泉

90

薄曇り

暑くない

 

20069.27

中国

張掖の81Km手前まで【張掖泊】

90

快晴

暑い

 

20069.28

中国

張掖の9Km先まで  【張掖泊】

90

快晴

暑い

 

20069.29

中国

休養(張掖観光)   【張掖泊】

0

快晴

暑い

 

20069.30

中国

張掖の99Km先まで 【張掖泊】

86

快晴

暑い

 

200610.1

中国

武威の68Km手前まで武威泊】

90

晴れ

暑くない

 

10

200610.2

中国

武威の22Km先まで 武威泊】

90

曇り・時々小雨

涼しい

 

11

200610.3

中国

古浪まで歩行、車にて青海湖へ【青海湖泊】

41

曇り・

涼しい

 

12

200610.4

中国

青海湖観光 

車にて蘭州へ   【蘭州泊】

0

曇り後快晴

7 / 28

 

13

200610.5

日本

午前:蘭州から 空路、西安へ

午後:西安 空路、帰国の途へ

0

晴れ

暑い

 

 

 

間概念図(jpag file

低窩鋪      嘉峪関  酒泉市    清水  高台  張掖市  山丹   永昌  武威市  古浪

3070KP   約2971KP             約2730KP          約2495KP  2428KP

Start                                                                                             Goal

歩行第一日目

→→→→→各班20Km

80Km走行 2990Kp 

     歩行第二日目

       →→→→→→225Km,2班,20Km

       90Km走行 2896Kp 

            歩行第3日目 

              →→→→→→225Km,2班,20Km

              90Km走行 2806Kp

歩行第4日目 

                     →→→→→→225Km,2班,20Kmm

                     90Km走行 2721Kp

歩行第5日目 

                           →→→→→225Km,2班,20Kmm

                            86Km走行 2618Kp(張市街地は歩行カット)

歩行第6日目 

                               →→→→→→225Km,2班,20Kmm

                               90Km走行 2555Kp 

歩行第7日目 

                                  →→→→→225Km,2班,20Kmm

                                  90Km走行 2467Kp

歩行第8日目 

                                       →→→各班12,11,10,8Km、

                                         41Km走行 2428Kp

 

 

[H1] .見聞録

ルートの状況

甘粛省の敦煌から蘭州に向かう河西回廊を歩く。河西回廊は高度高原にある敦煌から蘭州までの

約1000Kmに渡る。甘粛省は北はゴビ砂漠と南は5000mの祁連山脈に挟まれたオアシス

のある細長い地域である。

  

祁連山脈

 

 

土漠

 

前回中国西部3の終着点中国国道312号沿いの小村、甘粛省低窩鋪3070Kp(キロポスト)から歩

行を西へと向い開始した。前回のグループが大変苦労された312号沿ってあるいはその上に高速道

路をかぶせた工事中の状態が想定されたが、低窩鋪付近の高速道路の工事はほぼ完成状態で、片側

車線を部分的に車走行開放しており、もう片方の未開放のほぼ完成した高速道路上の歩行が可能で

あった。歩行第一日目は嘉峪関の20Km手前まで、各班とも未完成の高速道路の合計80Kmの歩行で

あった。

 

低窩鋪3070Kp出発前

 

  

未完成高速道路を歩行・森氏

 

積荷過多・良く転倒車を見かけた。

 

歩行第二日目は、1班はもっぱら未完成高速道路の歩行をした。高速道路は市街地から離れたところ

に建設されているので、2班からは312号の歩行となる。酒泉町を抜け郊外に出て、張掖市に向う。

国道312号は、定期バス,私設バス、農耕用トラックと積載超過の大型トラックなど交通量が大変

多い、歩行は安全のため、車と対面になる(車は右側通行)左側歩行を行った。

(中国のルールでは歩行者は右側通行、子供に注意をされたこともあった。)

 

  

ポプラ並木を歩く

 

 

路肩に転落したトラック

 

歩行前の森氏と住山氏

 

国道312号は、オアシス都市の近傍になると路肩にポプラの並木が植えてあり、若干木陰がで

き、日差しを避けることができたが、ほとんど直射日光を浴びての歩行であった。また、車の排気

ガス(ディーゼル車がほとんどである)がすごく、特に市街地はひどくマスクが必要とする状況であった。(町全体が排気ガスと土漠粉塵スモック状態で、歩行は余りお勧めできない。

 

 

  

321号歩行中の甲田氏

 

大きな町

 

歩行第3日目、前日と引き続き国道312号の歩行で、張掖市へと向う。酒泉と張掖との間には、ところどころ土漠の中に小さなオアシス村落が見られた。100Km以上はなれた祁連山脈の雪解け水を用水路引き新しい村が作られている模様であった。国道沿いにもところどころに小さな市街地を持った町があり、一部の班は幸いに昼食を食堂でとることができた。(食堂の有無は、ナビ係からの道案内が有効であった。)張掖の手前2806Kpまで到着

 

水の用水

 

歩行開始の森氏

 

    

歩行中の甲田夫人

   

祁連山脈の雪解けの用水

 

歩行第4日目は前日に引き続き、国道312号を張掖を目指して歩行する。シルクロード最大規模のオアシスである張掖に近づくに従って、周りは緑(主にトウモロコシ)が多くなる。道路沿いには水が豊富のためか?大きくなったポプラの並木が見られた。

張掖近傍には自然の河(黒河、モンゴル側に向かい伏流して消滅するとか)があり、水も豊富なため以前は水田もあったと言う、しかし、政府が中止した、理由は、モンゴル側の乾燥化が進んでしまうとのことです。張掖先2721Kpまで到着した。

 

 

312号は真っ直ぐ続く

  

紅花・トウモロコシを乾燥する農夫

 

巨大な用水池

 

一日休養日の後、歩行第5日目は山丹までの歩行だが、1-2班はまだ312号線の歩行ができたが、事前情報で312号線は途中から消滅、高速道路となり歩行者の通行は禁止となったので、わき道の村道を行くことになる。村道は伴走車(中型マイクロバス)の走行が困難を予想されたので、補助のため小型タクシーをやとった。村道は一部旧312号線も利用され、長城跡や小さな村を抜けてほぼ高速道路と併走した状態で山丹までの2816Kpまで歩行は進んだ。

 

 

村道を歩行する結城・甲田両氏

 

崩れた長城壁

  

紅花の畑と森氏

 

歩行第6日目、前日と引き続き村道の歩行となる。高速道路から少し離れては居たがほぼ高速道路に沿った村道を武威に向って歩行した。若干高原(2800m位?)周りは放牧(羊)地帯の様相で、モンゴル側の山斜面には明または漢の時代の長城が見られた。村道は車の通行もまれで、排気ガスもなく、高原の中を歩くので快適であった。しかし、昼食をとる食堂は無かった、武威に近づくに従って再び312号線が出現し、高台、永昌など比較的大きな町が出てきて、町道と重なり、国道312号線の歩行になった。永昌先手前2555Kpまで到達した。

   

歩行開始の森氏と甲田夫人

 

 高原を歩行前の土屋氏

 

歩行第7日目、再び312号線を武威に向って1から3班は歩行した。武威に近づくに従い、ポプラ並木も豊かになり、日陰もあり歩きやすいが、交通量も多く排気ガスがひどくなった。4班は武威市街を歩行して古狼方面に向かった。市街の歩行は酒泉、張掖市街と同じで、車の排気ガスと砂塵で空気が悪く大変で会った。また市街地も分かりにくく下見(車で)したが、複雑で間違えたりした。

歩行も順調に進み、武威先 2467Kpまで到達した。312号線は工事中(一部完成)の高速道路脇に残っているが補修をされてないので悪路となり、交通量も多く砂埃の中を歩くことになった。

 

 

羊が満載のトラック

 

ポプラ並木の続く312

町のバザール

 

歩行第8日(最終日)は前日決め手Goal 古浪まで前日の続きで、高速道路(一部完成)の脇の消えたり出たりする312号残道を歩行した。今回の歩行のGoal古浪町を抜けた町の東入り口小さな川の橋を渡ったところに到着した。

 

 

 

 

 

お手伝いをする子供たち

  

古浪の東入り口、今回のGoal

 

Goal古浪手前から完成した高速道路は蘭州方面に向かい離れ、次第旧312号が蘭州に向い舗装道路として古浪からの山間部に続いていた。

 

 

自然環境

今回のコースは南側は最高峰5547m祁連山からなる祁連山脈が連なり。北はゴビ沙漠の南端に挟まれた東西1000Km,南北40から100kmの細長い地形をした黄土高原の概ね標高1500-3000m近い通称土漠と呼ばれる乾燥地帯である。歩行した河西回廊には酒泉、張掖、武威など紀元前時代から開かれた豊かなオアシス主要都市があった。

気候は、大陸性気候で、敦煌などは年間降雨量が100mm以下(ガイドの丁さん曰く、昨年は敦煌は39mmとか)で大変に雨の少ない地域である。今回の歩行中、武威近傍で非常に珍しく小雨(ワイパーを回すほど)が降った。土漠の砂の粒子は大変細かく、電子機器、カメラの隙間から入り込んでしまうくらいである(注意)。今回は季節は夏がおわり秋に入ったばかりではあったが、ほとんど連日快晴・晴れが続いて大変に日差が強く、風も少なく暑くかった。日中は長袖が必要ない気候であった。ただし、乾燥しているので汗はかいても、直ぐに乾いてしまい、(肌に塩が噴いた)からっとした厚さである。

動・植物に着目してみると、砂漠と似て自然の状態ではほとんど草木も生えてない地帯である。しかし、歩行中の312号沿いの周りの土漠には、よく駱駝草が見られた。−駱駝しか食べられないのでそのように呼ばれているのか?−、街道筋には乾燥と寒さにも強いポプラの木が植えられていた。多分暴風・砂のためだと思われる。歩行者(ほとんど想定されて無い)には若干の日よけ・木陰になり、大変助かった。木も無かったら、もしかしたら日射病患者が出たかもしれません。

 

野生動物はほとんど見かけませんでしたが、蛇、ねずみ(死骸)小鳥(種類不明)が見られた。鷲が草原には飛んでいるようで、ねずみを捕へさせるための停まり場所として、草原に人工的に「土塔」が作られていた。(山丹―永昌の高原地帯)

 

 

何の花かな?

 

 

蛇 

 

  

綿花

 

高原で相当な乾燥した地帯だが、それでも祁連山脈を源として何本かの河(川)が流れている。中でも今回のコースで最大のオアシス都市の張掖近傍には黒河は大きな川で、その周りには樹木が茂り、草花が多く見られた。また、この豊富な水を利用して、トウモロコシ、小麦、数々野菜の栽培が行われており、大変豊かな農村地帯を形成してた。自然の河とは別に、人工的に山脈から水路で雪解け水が各所で引かれてきて、新たな畑(トウモロコシ中心)が形成され、新しい村の建設も行われていた。

土漠の土はカルシュウム成分の多い土で、当然水は硬水であった。ホテルのポットでお湯を沸かすと白い層ができるくらいで、生水の飲料は避け方が良い。

特徴ある地形として、ヤンダン(ヤンデン)地形(風化土堆群)が見られた。

 

   

青海湖・魚雷発射実験施設の残骸

 

 青海湖記念塔

 

観光で訪れた場所だが、今回一番寒いと思われた青海湖は中国最大の塩水湖で標高3260mで位置しているが、思ったほど寒くは無く、長袖にセーターでも大丈夫なくらいの寒さであった。

湖岸から周りの山の斜面は牧草地で牛、羊、ヤクの放牧が行われていた。春は、菜の花が咲き乱れるとのことで、観光地として有名である。

 

 

青海湖岸からチベット方面を望む

 

   

 チベット族の子供・民族衣装は観光用

 

 

人々の生活

古くからの主要都市オアシスの酒泉(市街地で人口34万)、張掖(人口90万以上?)、武威は大変大きな都市であった。312号線に沿って、光ケーブル、蘭新国有鉄道(複線化が進んでいる)も敷設され、急速に近代化・都市化が進んでいる。その影響で、都市部の排気ガス、生活燃料、工場噴煙等による公害問題が起こっているようだった。新興都市嘉峪関のように祁連山脈の鉄鉱石を利用しての鉄鋼産業、蘭州(人口300万以上)の製油産業とか(新疆の油田)工業化も見られるが、シルクロードの時代から、これら都市は公益を中心とした商業がもっとも盛んで活発のようであった。しかし、矢張り主たる産業は農業ではないかと思う。敦煌地域は乾燥が強いのでその80%は綿花栽培が行われているとガイドの丁さんが話していた。

紀元前から漢族が進出してきて、水が比較的豊富なオアシスを中心として農耕が行われ、それが今日まで続いていると思われる。(昔、軍隊と一緒に来て、土着したのか?あるいは、放置されて帰れずに仕方なく定着したのか?)歩行中は、周りはトウモロコシの畑がほとんどで、漢族の農夫が多数であったが、農業を営むイスラム教信奉する回族などを多く見かけた。羊が畑の中で放牧され、牛や馬山羊も放牧されていた。運搬用にはロバがまだ用いられており、操る人は比較的年寄りが多く感じられた。三輪車・耕運機に台車を付けて町に荷物(羊。藁等)運搬する車が多く見られた。

住居は、専ら、粘土で作られた、家畜と同衾の家屋で、暑さと砂塵防止、冬の寒さにも耐えられる構造であった。屋根には収穫したトウモロコシ、家畜用の干し草の乾燥が載せてある家が多く見られた。

トウモロコシの葉は乾燥して、製紙工場に運ぶとお金になるので、荷台に工夫して道路一杯の幅まで積み込んで、耕運機で運んでいる集団が朝の国道を走行している情景は特筆に価する。

今回の歩行ルートには余り見かけなかったが、チベット族は主に羊、馬、牛(高高度ではヤクも)の放牧を主として生活している。

歩行の中で、偶然葬儀に出くわし、招かれて参列した班(荒井氏、土屋氏)があった。3日三晩葬儀を執り行うとかで、親族・近隣を集めての大宴会を行う風習とか?この希少な経験は荒井氏のビデオに納められている。

 

食べ物・酒・その他

食事は、言うまでも無く、ホテルの食事、観光、歩行中の昼食(幸いにして食堂に出会った班は)すべて中華料理(豚中心、野菜中心)あるいは清真料理(羊肉、野菜中心)であった。

 

火鍋(中華風しゃぶしゃぶ) 

 

 

   牛肉面     

 

料理の種類は大変沢山あり、料理名の記録は十分できなかったが、写真をとって記録した。詳細は食事風景の写真を見て頂きたい。朝食は専ら、各ホテルバイキング方式で、スープ粥、饅頭、各種中華風前菜、麺(うどん)ゆで卵、ホットミルク、コーヒー?デザート(果物、中華ケーキ)の組み合わせであった。昼食は、食堂がない場合は、歩行中は各自の嗜好で持参したレトルト食品、即席麺、お粥、携行食糧(ビスケット等)でとった。食堂では、2.54元で食べられる、牛肉麺が人気があった。夕食は各ホテル内または市街のレストランで外食した。最初の敦煌のホテルの夕食と最終日の蘭州のホテルの夕食は お世話になった中国の旅行社 敦煌旅遊有限公司の招待を受けた。

 

 

 

  

 

 

 

旅行社招待の歓迎会

 

9人で、(途中から8人)会計報告から見ると、1回の食事がビール等お酒も含め、400元、(6000円位)、一人当たり平均700円位になる。ホテルはビール等少し高い。

中華料理は矢張り味付けは全て四川料理の影響が強いのか 辛い (メンバーによっては辛くて食べれない人もいた)。また、香料(パクチ)がほとんどの料理に良く使われており、苦手な人は西域中華料理は苦痛かもしれない。三日目位から、料理を中華料理から清真料理を中心にした。これは羊肉を用い、味付けも辛さが抑えられ、温野菜料理中心の油っぽさが軽減された料理であった。

これらの料理の中で、メンバー全員の大好評を得たのは、927張掖ホテルレストランでの夕食、火鍋(中華風しゃぶしゃぶ、牛スープ、牛・豚肉、蓮根、きくらげ、瓜、白菜、ハム、豆腐、鯉ぶつ切り、干しあわび? キノコ、しいたけ、かぼちゃ、・・・ 最後に平麺)であった。

 

 

お酒は、必ず夕食時現地のビールを冷やしてもらい飲んだ。現地では冷やしては飲まないので、事前に頼んでおかなければ冷えたビールは飲めない。歩行中昼食時冷えたビールがほしい時は、お店に冷蔵かがあるか?確認してから入店する必要がある。メンバー皆、鼻が利く人が多かった。

ビールは、冷えてないと少し安いが、2.5元から4元(ホテルでは5元もある)飲んだビールの銘柄は、新彊啤酒、祁連啤酒、五泉啤酒 、西涼啤酒 天山啤酒、 黄河啤酒・・地元の名称でいろいろあるが、それぞれ味はほとんど同じ、青海ビールの系列である。

  

 

 沢山啤酒を飲みました。

 

白酒(バイチュウ)、酒泉の地名が示すとおり、河西回廊は酒の産地である。穀物(麦、豆とか・)を原料に多数の銘柄の白酒が販売されていた。食事のときは専ら啤酒(ビール)を飲だが、ホテルでの団欒は白酒を飲んで歓談した。度数は5060度と高く、それぞれ独特の芳香があり、安いものは。8元(ビンが小さい)から高いものは数百元と価格もピンきりであった。われわれは専ら10元から30元の銘柄を楽しんだ。箱は大変立派な装丁で、再ボトル偽造品を防ぐため、箱も一度開けると使えない装丁とか、ボトルも再ボトルで出来ないように、瓶口を細工加工したものがある。(高いものは特に)。飲んだ白酒は銘柄が読み取れない、漢字が中国語で読めない等で曖昧だが、漢武御、幺幺踏春,百年盛世、隴派、隋??/森、清品・・、寿・・とすう銘柄でした。強いので飲みすぎると酔いが運動神経に来て、おまけにストレートに胃がやられます。

 

 

ホテルの団欒で飲んだ白酒

 

酒屋の白酒の棚、銘柄は沢山

 

 

清真料理の店で、牛肉面を食べました。

 

   杭州空港内、果物は豊富。美味しくない?

 

   

蘭州・回教徒のマーケット・美味しそうな鶏肉

 

 揚げ物・脂っこい

 

その他、為替のレートは、1元、約14.81円、杭州飛行場の中国銀行で両替した。ホテルで

の両替も可能であるが一寸レートが悪い

 

 

 

5.人々との交流の記録

歩行第一日目は未完成高速道路の歩行で村も無く、行き会う人は工事労働者(地元?出稼ぎ?)で、いろいろな民族の方がおり、総じて皆声をかけるとニコニコして返事をしてくれるが、中国語が読み書きができない可能性もあるためか?あるいはまだ初日でもあったので、各班とも交流が少なかった。歩行2日目からは、村・町も現われ、人々との出会いの機会が増え、少し中国語ができる森氏など、各班各人積極的に現地の人と片言の中国語で交流を行った。たとえば途中で帰国する住山氏は、下記に交流を行った。中には、上海から自転車でスーリングを行っているドイツ人の方と得意な英語を生かした交流もあった。

1)住山氏の交流記録

 2006926日 義文超 甘粛省嘉峪関市

    2006926日 鄭金、張貴武 甘粛省酒嘉公路段

    2006927日 LILRICH STADADTLER Germany

    2006928日 曹鑫五  甘粛省張掖市甘州区砂井鎮

             他3

2006929日 屈建翠  新羅 

         他2

以降帰国

以下に、各班各人の交流記録を添付します。

2)森氏の交流記録

  

   

 

 

 

張掖食堂にて、女子大生と交流す森氏

 

 歩行中 現地の人と中国語で会話交流

 

3)住山氏と甲田夫人の交流記録

   

  

 

 

住山氏ドイツ人との交流

 

若い母親と子供達

 

皆、現地の人たちは大変友好的であった。特に子供たちは、好奇心からか?声をかける

と皆寄って来て、中には片言の英語できるものいて、道案内、食堂の場所を教えてくれ

たり、大変親切であった

 

4)結城氏と新井氏の交流記録

  

 

      

交流中の森さんと子供達

 

 

時計をもらった結


 [H1]