第9区間;「黒い森」とアスパラガス  早川(4期)、川田(4期)

 5月8日に発ち19日に帰国。メンバーは川田、早川の4期コンビ。
40年振りだがこれ以上は望めない最強の相棒だ。
川田は夫人とドイツ在住の友人渡辺さん、早川は妻と義柿を伴った旅。

5月9日
夕刻バーデンバーデンで逢った。
長泉の疲れを取るにはまず入浴と、DM500を払って飛込んだ。 裸のつきあいが出来て、その後の旅が大変楽しかった。入浴に順番がありどの浴室も低温だった。
ハーブサウナは香りも良く気持良いものだ。
次の浴室で男女が合流させられ、はからずも金髪女性との混浴に驚いた。
 この日の昼食には待望の旬の味アスパラを食べた。 親指位の太さで、長さ27cm、一皿に7〜8本、初めての食材は新鮮で美味かった。
ドイツの第1夜は、由緒あるホテル・シュロス。トリブルでDM800と高いが、広大な庭は歴史を感じさせる。 ロビー・インテリア全てがカルチャー・ショック。
こんな所に泊っていて、良いのか…………!

5月10日(土) 雨後晴
AM10:30・標高700mのフロイデンシユタツト駅からスタート。
黒い森の東麓を下降気味に、標高400mのホルプ迄25km歩いた。 地図の読み違いで、ル−トを外してヤブこぎしたが、それもいいさと、18:10に川田夫人と合流した。 夜はバンテリンとマメの手入れ。

                                                                                       5月11日(日) 晴天
AM8時半スタート。標高300mのチユービンゲン迄、ネツカー河畔を歩く。
終日水辺の散歩道を、緑と花と鳥の声に包まれ、すれ違うのはサンデーサイクリストだけ。 町外れの広場では、ラジコン飛行機の大会と、にぎやかな一日だつた。28km

5月12日(月) 晴天
AM7時半ネツカー支流のエルムスに向い、軽い登りながらバットウーラツハ迄29kmの最長コース。 メツチンゲン駅にて昼食を摂りながらサポートを交替をした。
グローバルフォンを使用したが、山間部では使えず、市街地で合流に役立りた。 シンガポールが基地の国際電話で料金が割高と思われる。

5月13日 (火) 晴天
AM8時40分スタート。エルムス川を標高差300mを登るため、短めにミユンジンゲンに宿を決めてある。
谷間の林道は全コース中最も快適で、水源貯水池やキャンプ場も散見された。 登りきったシュベービッシュアルプは、ネッカー川とドナウ川の分水嶺である。
町外れを明日の分も歩いてドイツ陸軍演習地沿いに、銃砲の炸裂音を聞きながら、インゲステッテン手前で15時40分にストップした。 22km。

5月14日 (水) 晴天
 AM8時30分、残り僅かの距離をドナウ川に向って一気に下降。
完歩間近の気の緩みから地図から南に外れて、約2時間は地杉とコンパスだけでプラウポイレンに向っ た。 パイラーに入った12時に安心して昼食を摂った。 12時45分無事駅に着き、駅員にサインをもらった。

「歩行記録」
東経8°25'〜9°48' 1°23’
総距離 120km
総歩数 193000歩
正味時間 30時間

 今回は5日分の装備を7kg持ち、15kgのビデオを首に下げて歩いたが、何とかなった。
川田が途中で面白い事を云った。「この族は2回目の方が勇気がいる。俺は今回 だけだろう。」
然し完歩直後には、次のコースに就いて口にしていた。この調子では多分来年も歩くだろう。  最終日の夜は、ウルム。チェックイン後世界一高い大聖量に出かけ、786段 の階段を軽快に最上階に昇り、ドナウを眼下にした時、はるばるライン川の大支流ネツカー川から、ヨーロッパの分水嶺を120km歩き通した喜びがこみ上げて来た。
4人のサポーターの好意に、完歩で応えられて良かった。ありがとう。

5月15日 (木) 晴天
 列車でギーセンの夫人の元へ帰る川田と別れて、我々三名は今回の族のもう一つ の目的であるドナウ源流を訪ねる事にした。
途中でヘヒンゲンのホーエンツォルレン城を訪ねた。ドイツ皇帝を輩出した一族の居城は、小高い丘にそびえ立ち、当時の栄華を偲ばせる。
 ドナウエッシンゲンのは観光名所だが、更に二手に分れるブリ方ガッツハとブレークの源泉を目指して山道に入った。  ブリガツハクエレは民家の近くで、ケルト人の彫刻による女神像が出土した。
 ブレーククエレは、ヒユツテの裏手にあり、石碑に「ドナウの主たる瀬流ブレーク川はここより湧き出る。黒海迄、2888km。この上流100mに、ドナウ川とライン川、黒海と北海の分水嶺がある…」とある。
 全てに満足し、タンネの森の時と新緑の草原の明のコントラストや、散在する赤い屋根・白い壁の農家を眺めながら、ゆっくりと、フランクフルトに向った。