第24区間;カランセベスからセベリン  作成;和田 航一
           1998.7.5〜7.12 和田 航一(3期)  加藤 博一(4期)

月日天気歩行場所距離道路安全評価
7月6日曇りカランセべス〜チミシェリ19キロ街道
7月7日晴れチミシェリ〜テレゴバ24キロ(和田)街道
7月8日晴れオルショバ〜セベリン27キロ街道
7月9日曇りオルショバ〜へラクレネ17キロ街道×
7月10日曇りへラクレネ〜テレゴバ28キロ(藤田)街道




7月6日(月)
 ハンガリーから続く大平原はカランセべスあたりでカルパチャ山脈が立ちはだかり、標高540mの峠を越すとオルショバでドナウ河に出会う。今回のルートはカランセべスからドナウに向かって街道を南下し、オルショバからセベリンまではドナウに沿って歩く。
 カランセべスは昨年の秋、和田が到達した23区の終点で、見当をつけていたモーテルに荷を預けて歩き出す。区間の終わりは街道沿いの駅とし各駅停車の終列車で宿に戻る予定とした。ルーマニアを南北に縦貫する主街道のため、車の通行は多い。周辺の畑は黄色になった麦、まだ穂の出ないトウモロコシが広がる。
そのため畑には人気はない。村は街道から遠く、ガソリンスタンドもない。終列車の時刻はこの季節、陽は高い。列車を待つ間人気のない駅で靴を乾かす。


7月7日(火)
 街道沿いに川が流れ両側は次第に山が迫る。道路の勾配は歩くには苦にならない程度。鉄道は何度か街道と鉄橋で交差する。
突然礼拝堂のような建物が現れる。通り過ぎると、ハタハタと追いかける足音、ふりかえると神父が追ってきて、ぜひ寄っていくようにと誘う。ついて行くと、暗い岩窟の中にうっすらと彩色されキリスト像が描かれ、祭壇がある。約1世紀前に傭かれたものだと説明する。
礼拝すると木でできたロザリオを二人に手渡し、ギフトと言う。少し多すぎるお金を椀の中に入れてしまう。旅の加護になればとポッケトに入れる。
 テレゴバあたりは材木の積み出しがされている。
<右写真 列車内で 和田/左、加藤/右>

7月8日(水)
 次の宿をオルショバとするために、列車で移動する。きれいな若い女性一人のコンパートメントを選んで座る。旅のあいだじゆう加藤君はルーマニア女性の美しさに感嘆しきり。ジャパンから来て、歩いてセベリンまで行くと説明するが、にこっとするだけで話がつながらない。なんとももどかしい。
途中から若者ふたりも加わり賑やかとなる。車窓からはローマ軍の築いた城塞がおおきな岩山の上に見える。ぜひ、写真に撮れと言う。ルーマニアの地勢からすると、ビザンチンへのローマ軍もオスマントルコ、巡礼や十字軍もこの街道を通ったであろう。 
 若者にオルショバのホテルを尋ねると、1つだけあると言う。
オルショバの駅前にはドナウの水面が明るくひろがる。大きな艀が浮かぶ港になった入り江の対岸にはオレンジ色の瓦の連なるオルショバの街がみえる。
ホテルに荷をあずけ、ドナウ河畔沿いの道路をセベリンに向かう。切り立った崖、道路、水面近くに鉄道線路。水面から吹き付ける風が強い。やっと見つけたレストラン風の建物は遊覧船の待合室、客は誰もいない。テーブルを借りて昼めしとする。直径30cmほどの堅いパン、りんご、駅で買った安ワインに二人とも満足した。加藤君のグルメぶりもたいしたものではないと笑う。
 鉄門は、ドナウ中流の大ダムで水位差は低いが両岸に大きな水力発電所がある。
船による水運を確保するため大きな間門を備えている。対岸はユーゴーの村が見える。狭い草地でわずかなやぎを連れた老牧童が写真を撮れとポーズをとる。
セベリンの街の標識で、24区の終点到着を確認する。
 セベリン最高のホテルはガタピシのエレべ−タ、美人だがそっけないフロント。ただ−つ、窓からの満月に光るドナウの眺めが最高。

7月9日(木)
 ブタペシュトにもどる列車の都合で最終区間を先に歩いたので残した区間、オルショバからへラクレネまで歩く。へラクレネは温泉地だが、ホテルが多数ある
街は駅から5kmほど離れているので立ち寄る予定はない。
朝から雨が降ったり止んだり、雨具を着て歩く。街道は山間を川に沿って曲がりくねる。通過する貧しそうな旧い村に人気は少ない。へラクレネ手前で街道の並木の木陰で昼食とする。村のマーケットで買ったトマトとこのあたりの名物であるピーマンでパンを食べるい通る人、車も少ない。汗で湿った靴、ベストを手の届くあたりに広げる。15歳位の少年二人が立ち止まり物珍げに近付いてきた。 これから歩いてへラクレネに行く、チョコレートを差し出してこちらから話し掛ける。少年たちはこの近くの村の者だと言う。いつのまにか一人は居なくなった。突然一人の少年が横に広げてあったベストを掴んで駆け出し、 後ろのトウモロコシ畑と薮の中に走り去った。
すぐ立ち上がり追いかけたが見通しが悪く、見失てしまった。ベストのポケットには日本円、マスターカード、手持ちのドルの一部、ホテルのルームキー、記録手帳などが入っていた。急いで荷をまとめへラクレネの街まで歩き、タクシーで警察に行き、英語の喋れる若いタクシーの運転手に通訳してもらいながら盗難届けを求めたが要領を得ず諦めざるを得なかった。幸い、パスポートはホテルに預けて無事であった。ホテルに戻ったが留守番のオバサンはスペアもマスターキーも見つけられず、その夜は別の部屋に泊まった。

7月10日(金)
 朝、ようやく部屋を開け、荷物をまとめた。今日は歩き終わり次第夕方の列車 でブタペシュトに向かい、明日の11時の便で帰国しなければならない。汽車賃 の現地通貨が不足なので街の銀行に両替に行ったが、なんとレイ(現地通貨) 不足で両替はできないと言う。ブタペシュトまでの途中で何とかしようと思い直 して、残った最後の区間を歩いた。標高 540mの峠は、はっきりしないうちに過ぎコースを完結したが、帰路の不安であまり喜べなかった。
 歩きの終点は各駅停車の駅で、帰国の急行列車停車駅にもどるバスの時間をたずねると、車で送ってやるという。車は、かの東ドイツ製の古いトラバント、あっと言う間に駅に着いた。ありがたいことだ。
帰路の乗り換え駅ティミショアラまでのキップを買い帰途につく。夕日は平原を真っ赤に染めて沈む。ふと時計を見ると21時。この他、この季節はいつまでも明るい。夜、テミショアラに着き、昨年世話になったホテルに行ったが両替はで
きない。困っているとホテルマンが知り合いのカジノに案内してくれて、なんと
か間に合うだけのレイを手にいれた。親切なタクシー運転手の世話になり、アラドでブタペシュト行きのキップを手に入れホットする。

7月11日(土)
 夜行列車でハンガリーに入る。国境では両国の検問や検札で度々起こされ、朝 早くブタペシュトに着く。不安は無くなり、時間毎ゆとりもできたので、タクシでブタペシュト見物をする。旧いヨーロッパの雰囲気のある美しい街だ。二人とも次にはカミサンを連れて訪れたいと言う。

7月12日(日)
 成田で旅の終わりをビールで祝う。ルーマニアのビール、ワインはどれも美味かった。食べ残した大きく堅いパンを二つに切り分けて、土産にした。 今回、ひったくりの被害にあった。これから先、このような被害に遭わないため再発防止対策をまとめてみる。

対   策
*めがね、カメラはザックの中へ。必要な時だけ取り出す。
*地味な使い古し、現地レベルの服装とする。
*必要な分だけズボンのポケットへいれる。
*財布は持たない。
*人目の無いところで出会う人間には警戒する
*必要最低限の金をズボンのポッケトに入れ、そこから出す。
*貴重品は胸袋、腰袋に入れ、絶対に肌身放さず。
*大金を日本から持って行かない
*分散して持つ。
*ホテルに預ける。
*先ず、近寄ってくる人間の狙いを判断。特にジプシーに注意。

1)貴重品は当初から意識して分散していたが。その一部を手放したことが悔やまれる。 しかし、先ず狙われるような行動こそ問題だ。
2)街にはストリートチルドレン、ボン引き、一見純情そうに見える少年。どこの国にもある事と思わなければなるまい。安全ボケを反省した。
3)駅でキップを買う時、少しの釣り銭はよこさない。駅長一人の時、私に〜とチップ?を要求し、車内の車掌も精算では、追加料金の代わりに私にいくらかくれ、よそに言うな、ノープロプレム、ノープロプレムと言う。
4)タクシーは乗る前に値段をハツキリ決め、こちらのメモに値段を書かせる。
  それでも降てから高い料金を要求する。ノーと拒否する。
5)物価は安いように見えるが、これは金持ちの日本人の感覚である。
6)クレジットカードはVISA,MasterCardだけ有効だった。タクシーはドルが使えた。