第25区 ル−マニア南西部(セベリン−カラファト)
       歩行記およびル−マニア観光、登山記

                    98.12.05 7期 安藤 潔

概要
 日程;1998/7/27〜8/14
 歩行日;7/29 30km、7/30 28km、7/31 36km、8/1 4km、 計103km
 費用概算;30万円(19日間)

98年7月27日
 7時自宅出発。10時成田離陸(ルフトハンザ航空)。
フランクフルトで3時間待機後、21時ブカレスト着 (日本との時差6時間)。
バスとタクシ−で日本からファックス予約しておいたホテルへ。
さっそくタクシ−代でもめる。教訓、乗る前に料金をきめろ。
ホテルはブカレスト駅前のAstoria。

7月28日
 時差の関係かよく寝られず5時起床。
そこで、今回の歩行後に予定している サイクリング用に日本から持参した自転車を組み立ててみる。
ところがデイレイラ−の調子がおかしい。朝食後ホテルのフロントで聞いた自転車修理店にタクシ−でいく。
??町に自転車が走っていない**。迷って探し当てた店の開店時間は1時間後。 おまけに完成車など1台もないような、がらくた置き場のような店。 しかたなく店の前で自分で修理をはじめたところどうにか修理に成功。
帰りのタクシ−からも町をながめたが、歩く人、自動車、市街電車であふれているのに自転車は1時間の間に1台だけ。

10:45 歩きに必要な荷物以外をホテルに預け、セベリン(DROBETA-TURNU SEVERIN)行きの列車にのる。
立っている人がいるほど列車は混んでいる。窓外の風景は、どこまでもつずくわずかに起伏のある牧草地、ヒマワリ畑。(写真右側)

16:40  セベリン着。ここが今回のユ−ラシアワンの私の歩行区の出発地である。 ル−マニアの地図では、左端の最下段。 ドナウ川の向こうはユ−ゴスラビアである。

ホテルはユ−ラシアワン24区の歩行者、和田さん推奨の宿とする(七千円、今回の旅の最高額であり、設備も最高)。夕食はワイン一本付きで800円。
 私は5〜6年前から小麦粉のアレルギ−になり、食事に苦労している。
今回はその対応として、日本のル−マニア大使館で私が小麦粉アレルギ−であることをル−マニア語で書いてもっらったものを、レストランで見せることで毒のない食事にありついた。



7月29日(水)
 5:20起床。6:20朝食もとらずに歩きはじめる。
朝食のパンは食べられないし、日中は暑くなりそうなのでできれば昼寝でも、との思わくである。
セベリンの町中を一時間歩き、さらに人家のとぎれた国道E70を一時間歩く。車の往来は結構ある。
 8:30  国道56a号にはいる。とたんに車の量が減る。この道は二つの地方都市を結ぶロ−カルな道なので当然とおもいきや、たまに大型のトレ−ラ−が通る。どうも、ハンガリ−からブルガリアに荷物を輸送する車らしい。私の歩行の終着地カラファト(Calafat)は、ブルガリアとの国境の町である。
午前中は右にドナウ川、左にトウモロコシ、ヒマワリ畑のみちを行く。1カ所鉄条網で囲まれた畑があり、10〜20代の女性20〜30人が農作業をしており、そばに銃を持った男性が2人いる。??? 娘に虫がつかないように銃を持って監視???歩いているうちに気がついた、ドナウ川の向こう岸、私が歩いている道の200mむこうはユ−ゴ−スラビアなのだ!!!紛争中のユ−ゴ−から川を渡ってきた人を収容する施設なのだるう。しかし、ほかには国境を歩いているという緊迫感はなにも感じられなかった。
途中、トマトを満載しパンク修理中の車からトマトを買う。100円ほどで山ほどくれた。トマトは重いので腹に入れてから運ぶ。
 10:00  レストランでドナウ産の焼き魚だけの朝食。500円

 12:00  ドナウ川から離れ登りが始まる。峠の手前に冷たい水のわき出る水場がある。
 13:15  峠につく。峠といっても山はなく、木のはえた丘の頂上という感じ。
 14:30  山道を終わり、人家のある村につく。暑さと荷物の重さ(約10kg)のためか距離がかせげず、昼寝もせずひたすら歩く。ペ−スは一時間〜一時間15分歩き20分休憩。街道の1kmおきに距離を刻んだ標識があり、歩く励みになるが同時にいくら歩いても次の標識が現れないように思え、歩くのがつらくなる。

 16:30  今日の歩きの目標地Vinju Mare に着いたので歩行をやめることにする。
小さなホテルがあると昨夜のホテルで聞いてきたが。。。村人はホテルなど泊まれるところは一軒もないという。一瞬とまどったがベルギ−でも何度もこんな事態に陥った。セベリンまで車で引き返せばよい。村人の話では(たまに英語の通じる人がいる)四人集まると乗合タクシ−が一人200円ほどでセベリンまで行ってくれるとのこと。村の中心でビ−ルを飲みながら待つこと30分、四人集まり出発。ああ、なんと、10時間かけて歩いた道を30分で戻るとは****。運転手と乗客の一人は知り合いらしく、30分の車中2人合わせて45分しゃべっていた。ル−マニア人は陽気である。
もう一つ気付いたこと。歩行中出会う車のほとんどは4人、3人の人が乗っており「休日でもないのに友人や家族そろってどこへ行くのだろう」と思っていたが、 乗合タクシ−やヒッチハイクの人を乗せた車だったのだ。

 18:00  セベリン着。昨日とは違うホテルに泊まる。4千円、食事代1500円まずい。
******歩行距離 35km、歩行時間 10時間(食事1時間含)*********

 
7月30日(木)
 5:00  起床。インスタント米とチ−ズの朝食。インスタント米はアレルギ−の対策として日本から20食ほど持参した。
 7:30  昨日のタクシ−で昨日歩き終えた地点にもどり、歩き始める。朝の空気はヒンヤリして気持ちがいい。 農作業にむかう馬車が何台か追い越していく。周りはのどかな田園地帯である。 9時ごろ小さな峠をこえる。日が高くなって暑くなると街路樹の下をあるく。

 10:30  事件発生!! 村はずれの道端で休憩しているとき、幼児二人をつれた30代の男性が馬車で通りかかり、何か話しかける。
そのうちタバコ、金という言葉が理解できる。私がNoというと、今度はかけているサングラスを指して何か言い始める。 またNoと言うが、あまりに何度もサングラスを指さし、何か言う。 サングラスなどかけたことがないのでちょっと貸してくれ、と言ってるのかな?子供が居ることだし、10mほど離れた所には老人が一人いて我々を見ていることだし、ということで、サングラスを手渡す。。。。と、、馬車が動き出す。。サングラスを追いかける、、馬車が早くなる。。。さらに追おうとするとき、老人が追うなという仕草をしているのに気がつき、追うのをやめる。 ちょっと油断したか。。。
後日気がついたが、タバコやアメなどのプレゼントを用意しておくのがよいかもしれない。
しかし、おかげでこの老人(写真中央)と知り合いになる。身振り、手振りとル−マニア語の単語での会話によると、馬車の男は村のもてあましものであるらしい。サングラスは税金と思ってあきらめる。丁度水が少なくなってきたので、水筒を示し「ウオ−タ−」と言うとうなずき、街道をはずれ、村の中の小さなバ−に案内してくれた。店の人に「ウオ−タ−」と言うとウイスキ−を取り出した。あわててル−マニア語の水を表す単語アパというと、ミネラルウオ−タ−をだしてくれた。2本買う。老人はさらにどこかに案内してくれる。着いたところは街道脇の井戸だった。冷たい、澄んだ水を汲んでくれる。初めからアパと言えばここに案内してくれたのだろう。 この水を水筒に入れ、ミネラルウオ−タ−もかついで、また、歩き出す。




 11:30  道端にウリのようなものを売っている子供が居る。
通りすぎると、追いかけてきて、一片をくれる。あまり水気はないが甘い。 この子供が一人めで、果物、野菜を売る子供、女性が1〜2kmおきに現れる。  昼食は湯で戻したインスタント白米。あまりうまくない。チ−ズで味付けして流し込む。 白米ではなく味付けしてある五目米、山菜米の方がうまい。
 16時頃  そろそろホテルを探すことにする。
村人に聞くと、このあたりにホテルはなく、昨日のセベリンか今回の歩きの目的地であるカラファトにしか、ないという。 セベリンまで60km、  カラファトまでは40kmとのことで、カラファトにいくことにする。しかし、セベリンへの乗合タクシ−はあるが、カラファトにいくのはないという。 カラファトのほうが小さいまちなので、カラファトに行く村人はいないという事らしい。
あとはカラファトに行く通りすがりの車をヒッチするしかない。。。。。
一時間後、やっとカラファトに行く車をヒッチすることができる(Camir村)。 しかし、歩きながら車をさがしたので、3kmほど目的地に近づいたので「ま、いいか」。ヒッチ仲間は若い軍人二人だった。 ホテルまで送ってくれたので、300円ほど渡す。

 20時  ホテルのドナウ川の見える屋外のレストランで夕食。他に客はいない。白ワイン、ポ−クソテ−、肉だんご、サラダ、ママリガ(トウモロコシ粉に牛乳、バタ−を加え煮たもの)で約900円。今日1日の出来事を思い起こしメモにとりながら、また、夕暮れのドナウの向こう岸のブルガリア(セベリンでは対岸はユ−ゴだった)に思いをはせながら、二時間かけて夕食を楽しむ。   *****歩行時間 10時間、歩行距離 28km********

7月31日(金)
 6:20 起床。昨夜フロントで7時に朝食、7時半に車、とたのんでおいたのに両方ともなし。今日のフロントはなにも聞いていないという。
 8:20  しかたなくホテルから歩き始める。街道にでて乗合タクシ−のたまり場らしきところで目的地を地図で示しながら車を探す。
見つかった車は40代男性と女性の乗ったベンツ(写真右の2人)。走り出して5分、ちょと寄り道をするとのことで着いた先はドナウ川にめんしたレストラン。酒、食事をといわれたが、ポテトだけたのむ。時間があればドナウの流れを間近にビ−ルを飲みたい場所だが、運動の最中は酒を飲まない主義だ。 私のはやる心を知ってか知らずか、彼等の朝食の終わったのは1時間後だった。
やっと目的地へとおもいきや、自分の会社に用があるので寄り道するとのこと。
会社に着くと若者2人を呼んでなにか話をしている。そのうち「写真をとれ」「今忙しいので車を降りて少し休んでいてくれ」と何か怪しい雰囲気。
そこで、「もう時間がない。はやくいきたい。」というと、ガソリン代をだせとのこと。
私が2万と言うと5万と言い、結局その場で2万、着いたとき2万とのことで若者の1人が車をだしてくれた。 30kmの車代4万といっても700円だ。

 10:20  予定の時間よりだいぶ遅れたが昨日の歩き終わりの地点戻り、歩き始める。
今日はほとんどの荷物をホテルにおいてきたので、ペ−スがあがる。昨日までの地形と同じような丘陵地帯だが、街道沿いに水場がある。 幅10mほどの石造りの水場に3口ほどの蛇口がついており、水が流れでている。このような水場が30分おきに6〜7カ所あった。しかし、水場には例外なく野菜、果物売りや、休憩中のドライバ−が居て金やタバコをくれと言う ので、水場では水の補給だけにし、人気のないとことで休む。
 水が豊富なせいか昨日までの村に比べ家の数は多く、裕福なようだ。約5kmおきに村があり、街道沿いに2kmも民家が続くこともあった。 もっとも、こういう村は街道沿いにしか家がないのだ。村の中の街道は「2車線の舗装路+果樹の街路樹+歩道+ベンチ」 からなり、道幅は30mはある。1軒の家は敷地が縦、横30~50mほどあり、野菜、果樹、花が植えられ,50~100uほどの木造平屋建ての家からなっている。車がある家も多い。 街道の歩道には手作りのベンチがおかれ、夕方にはここに座って道ゆくひととおしゃべりするのが、日課のよだ。 私に向かっても「休んでいけ」と、よく声をかけてくれる。 挨拶だけで通りすぎればよいのだが、会話を始めると共通の言語がないため意志の疎通に時間がかかり、10~20分はすぐに経過し、歩く時間が少なくなる。

犬に咬まれる。馬車に乗っている子供が街道にいる犬をからかって怒らせていたので、わざわざ道の反対側を歩いたのだが、いきなりかまれた。
あっという間のことでよく覚えていないが、アキレスケンのあたりを「ガブリ」と一咬みやられた。さいわい長ズボンの上からだったので、一カ所5mm程度のキズと数カ所のカスリキズですんだ。血が少しでたが、痛みはないので歩き続ける。
 この日は暑く、水はすぐになくなる。水場のある所を通りすぎると、その反動か井戸はあるが水面まで50mもあるような深井戸となる。あきらめて店でミネラル水をかうと、すぐに警察があり警官が水まきをしている。ここだけはモ−タ−で水を上げているらしい。さすがに警官は英語が少し通じたので、キズを洗い、水をもらい、通過証明書にサインをもらう。



 17:15  セベリンとカラファトを結ぶ道路56aが終わり、国道E79に入る。あと15kmで終わりだ。  歩き始めの時間は遅かったし、荷は軽いし、明朝9時にブカレスト行きの列車があると聞いていたので夕方遅くまで歩くことにする。さすがに6時半になると疲れたのでヒッチをはじめるが、車は止まってくれない。7時半になってやっと止まってくれた車は農作業用のトラクタ−、遅くてうるさいがトラクタ−に乗るのは初めての経験だった。残りの歩行距離は約4kmとなった。
 20:00  ホテル着。  21:00  夕食。
****歩行時間  9時間、 歩行距離  36km ****

8月1日(土)
 5:50  起床、昨晩の残り物の朝食をとる。
 6:10  9時初の列車に乗るべく、残りの歩行区間を終わらせに出発。 乗せてくれる車を探しながら歩くが、見つからず、結局同じ道を往復歩く。
0kmの道路標識があったのでその地点を今回のユ−ラシアワンの終了地点とする。 4日間、100kmの歩きが終わったが、あまりジンとくるものはなかった。列車の時間に気が急かされていたためか、朝早くなので血圧が低いせいか、2回目の歩きだからかもしれない。
 8:00  ホテルに帰り、パッキングしておいた荷物を持ち駅に向かう。
   8:30  駅。だがしかし、9時発の列車などない。ホテルのフロントの間違いか私の聞き違いか。詮索してもしょうがない。
おかげで11:40 までゆったりした時間がもて、旅の記録を書くことができた。

 11:40  カラファト発。ル−マニア国内リ−グのサッカ−選手3人と同じ席となる。
彼等は英語を話せたので会話ははずんだが、最後には月収のことになる。 ル−マニアでは5~10万円とのことで日本に行くにはとか、仕事はすぐ見つかるかということになり、私には答えようがなくなる。 そのうちに同じボックスの乗客が他のボックスに移りはじめ、ついに私1人になってしまった。
???話に飽きたのか私と同じ席がいやなのか。???***この原因は次回列車に乗ったときにわかった。
ル−マニアではどんなに暑くても走っている列車の座席側の窓は開けないのだ。 暑い人は停車中だけ開けるか、ボックスを出て通路側の窓を開けて涼むのがマナ−らしい。

 17:49 ブカレスト着 前回と同じホテルに泊まる。駅前なので便利だ。
 *** 歩行時間 2時間、 歩行距離 4km ***

 ユ−ラシアワン25区を歩き終えたわけだが、歩きおえた心境について当時のメモを見ると 「やっと今回のユ−ラシアワンが終わる。あまり感傷はなし。」としか書かれていない。
当時を振り返ってみると肉体的疲労はあまりなかったが、精神的には相当疲れていたのであろう。 また、あと2週間あるル−マニアの旅をどう過ごすかで、頭がいっぱいだったのかもしれない。