ユーラシアを歩く会 行動報告書

The Trans-Eurasia Walking Journey Program

1.   計画コース概要                                                        提出月日:2008.5.25

地域分類

ヨーロッパ

区間番号

 

国名

トルコ

 

実施期間

’08.4.12

     08’5.03

 

 

計画区間

 

出発地

到着地

参加人数

9名

Kursunlu(サフランボル近郊)

 

Chayelli (リゼ近郊)

Samsun(黒海沿岸)

 

Sarp(グルジア国境)

参加者:荒井(リーダー)、土屋、新井、斉藤、跡部、(荒井友人:

松見、高平、久藤、結城)

 

2.メンバー表

No

役割分担

氏 名

1

リーダー

荒井龍男

2

 

土屋淳一

3

 

新井 清

4

 

斉藤篤二

5

 

跡部輝彦

6

アルバトロス原稿

松見豊和

7

 

久藤宣機

8

会 計

高平仁雄

9

記 録

結城皖曠

 

行き

帰り(荒井)

出発日

4月12日

4月22日

出発場所

関西空港

トラブソン

到着場所

イスタンブール

イスタンブール

使用便名

TK047

TK547

航空会社

トルコ航空

トルコ航空

出発場所

イスタンブール

イスタンブール

到着場所

アンカラ

関西空港

使用便名

TK116

TK050

航空会社

トルコ航空

トルコ航空

 

 

3.現地での歩行結果

 

年月日

(曜日)

国名

出発〜到着

区間

歩行距離

天候

気温

1日目

4.12()

日本

羽田−関西空港

0 km

 

2日目

4.13()

トルコ

イスタンブール   (イスタンブール泊)

0 km

日中暑い

3日目

4.14()

トルコ

イスタンブール〜アンカラ、

車にてサフランボル  ( 同 泊)

0 km

日中暑い

日陰涼

4日目

4.15()

トルコ

クルスンルをスタート

Tosyaの先9km (Tosya)

80 km

日中暑い日陰涼

5日目

4.16()

トルコ

Osmancikの先7km

Osmancik)

80 km

日中暑い日陰涼

6日目

4.17()

トルコ

Havzaの先14km(Havza)

100 km

日中暑い日陰涼

7日目

4.18()

トルコ

Samsun   (Samsun)

60 km

晴一時雨

日中暑い日陰涼

8日目

4.19()

トルコ

移動・休養日

SamsunRize  (Rize)

0 km

日中暑い日陰涼

9日目

4.20()

トルコ

ChayelliSarp(グルジア国境)

(Rize)

92 km

日中暑い日陰涼

10日目

4.21()

トルコ

観光日 RizeTrabzon

シュメラ僧院観光  (Trabzon)

0 km

日中暑い日陰涼

11日目

4.22()

トルコ

パーティー解散(Trabzon出発)

荒井はイスタンブール経由帰国へ

他の8人はそれぞれ観光出発

0 km

日中暑い日陰涼

 


4.歩行区間概念図および歩行概要

第一区間の歩行では、道路脇にキロポストは存在するが、細かい行政区間ごとにゼロリセットされ、歩行区間内で表示が度々変わるため、区切りの予定目標に使えず、また累計歩行距離の確認に使えない状態であった。そこで車の走行距離で歩行距離を20kmずつ区切って近辺のキロポスト等の目印を決めて目印のテープを着ける方法で歩く。

 

連日6時起床、7時朝食、8時歩行出発の行動パターンを基本とした。

 

第1日目2人ずつ4班各20kmずつ歩行、リーダー荒井龍男氏が車で運転手とガイドに歩行要領を伝える事を兼ねて車に残ってナビ担当をつとめる。80km歩行。Tosya

 

第2日目は新井清氏がナビ担当、各班20kmずつ4班 計80kmを歩行。Osmancik

 

第3日目は運転手、ガイドが要領を把握したことで、車にナビ担当を置かず、土屋氏が一人歩きで他の4班は2人ずつ各20km 計100km歩行。午後一時激しい雹、雨。Havza

 

第4日目は第1区間残りの60kmを5班で平均12kmずつ歩行。午後Samsunのオトガル(バスセンター)で翌日のリゼ行きのバスの調査、切符を手配。チャーターのミニバスとガイドの契約はここまでで終了。あとは自分達で路線バスなどを利用する方針。Samsun

 

第5日は移動兼休養日。路線バスでサムスンからトラブゾン経由でリゼに移動。Rize

 

第2区間に入り、路線バス運行状況を調査したところ、各班の歩行開始、終了地点付近のバス停および乗り降り方法、特に国境付近の状況が把握困難。また、運行時刻表も曖昧。一方、ミニバスチャーターが比較的安価と判明。利用時間にも自由度が大きい事から、ミニバス利用で歩行を実施することにした。

 

第6日目はミニバスを一日チャーターしてグルジア国境往復の依頼をした。まず全員で国境まで行き、国境付近の状況、車の往来状況を視察。

 

5班2人が国境から西へリゼの方向に向かって歩行開始。残りは車でリゼの方向に33km戻って4班が東、国境方向へ、3班が西、リゼの方向へ歩き始める。

 

さらにリゼの方向に車で40km先で2班が東、国境方向へ、1班は西、リゼに向かって19km先の第2区間歩行開始地点Chayelliまで歩行。                                          トルコ−グルジア国境

 

2,3班各20kmの出会い方式、4,5班は国境付近の歩行条件の不確定さを考慮して各16.kmで出会い方式で歩き、計92kmを歩く。

 

2,3班の出会い予想地点で海岸道路、旧道路の利用、買い物など、何らかの事情で相互に確認できず、すれ違いとなる。それぞれ1時間以上余計に歩いた後、行き違いしたに違いないとの個別判断でそれ以上の歩行を打ち切り、路線バスを利用してホテルに帰着。

 

 これでトルコの歩行コースの抜けていた区間を全部歩き終えたことになる。

 

 歩行予定終了後、リゼからトラブソンに移動。ミニバスをチャーターして山奥深くの断崖に造られたシュメラ僧院を観光。運転手は初めての山道にもかかわらず、ノープロブレムの繰り返しで険しい道をものともせず僧院のすぐそばの駐車場まで運び上げてくれた。

 

5.ルートの状況

 

今回歩行の第1区間はトルコ中央部の首都アンカラの北の緩やかな高原地帯を北東方面にたどり、黒海沿岸のサムスン(Samusun)までの321km

                                                                    サフランボルのキャラバンサライ

第一区間のスタート地点、土屋、新井、平林、石塚、諸岡氏らの前回歩行終了地クルスンル(Kurusunlu)は、世界遺産の町サフランボル(サフランの多い町の意)の町から南東に120km離れた町である。サフランボルは古くからのシルクロードの要衝で、キャラバンサライの建物を使ったホテルもあるほか、斜面に古い美しい家並みが保存されている。

 

標高700前後で高度200400mの起伏のある丘陵地帯をたどり、川沿いに少し開けた放牧、麦畑地帯を下って黒海沿岸の都市サムスンに至る、人家の少ない美しい春の野山の田舎道であった。

 

丘陵地帯は禿げ山が多いが、上部にもまばらに草が生え、中腹以下の斜面には植林された若木が一定間隔に見られる状況で、中国の砂漠地帯とは似て非なる春の緑が感じられた。

 

黒海に近づいて川沿いの道に入ると、緩やかに蛇行して水が流れる河原に柳やポプラの木が茂り、麦やジャガイモ、稲を栽培する小規模の田畑が見られた。

                                                                              トルコ北部の春の山道

黒海から来る雨の恵みが感じられるのどかな春の野山は、下るにつれて畑作地が広がり、やがて大きなトラクターで広々とした畑を耕す場面が見られるようになった。麦や馬鈴薯がおおく、この地では米もよく栽培している地域とのことである。

 

 

第2区間のルートはリゼの近くのチャイエリ(Chayelli)からグルジア(Georgia)国境のサルプ(Sarp)まで、黒海の海岸沿いの道で、海沿いに新しく自動車専用道路が造られており、少し山側に町(村?)を通る旧道が部分的に新道と一緒になったり離れたりして続いている。沿道にはコンクリートの柱と床はあるが梁のない耐震強度上疑問のあると思われる2〜3階の骨組みと、その間に煉瓦の壁を積み上げて作る、建築途中の家をよく見かける。1階だけ完成して住処とし、上の階は柱と床だけという家も多い。    

 

1020km間隔で小さな町がある程度で、町以外には人影もほとんど無く、路線ミニバス(ドルムシュ)が町に立ち寄り運行している。グルジアとの国境を行き来する大型トラックや一部乗用車は海岸の自動車道路を高速で行き交う。

 

自動車道路の海側の海岸は日本のテトラポットの海岸と異なり、大きな岩を使った防波堤が整然と築かれており、道路との間、数メートルの幅でに木が植えられている美しい海岸線が続いている。日本なら観光地?だが人影のほとんど無い静かな海岸が続く。

 

町の海岸には海を小さく半ば囲むように岩で築いた防波堤が海に突き出してあり、その袂に2~3人乗れる程度の小さな漁船が23隻停泊している。見たところそれほど漁獲量があるとは見えない貧しい漁業と思われる。沖合にも漁船は余り見かけないほどである。

 

国境に近づくと、岩山の迫った自動車道路の空き地に検問の警察の小屋があり、数人の警察官が常駐している様子がうかがわれる。小屋の入り口で半ば居眠りをしている警察官にメルハバ(こんにちは)と声をかけるとにこやかに手を振って応えてくれた。歩いている限りでは国境付近の特別な緊張感は感じられない。

 

6.トピックスなど <とりとめなく>

 

4月13日。イスタンブールに早朝到着した日にホテルから歩いて旧市街の市内観光に出かける。ブルーモスクの見える広場で日本語で声をかけられた。日本語ガイドの受験準備中のトルコ男性で、ガイドの練習を兼ねて無料でブルーモスクからガラタ橋、ドルマバチェフ宮殿の厨房の備品を展示している博物館まで、付近を親切に案内してもらった。

 

サフランボルから今回の歩き始めのクルスンルに向かう途上に小さな鉄道の無人駅がある。6年前に土屋氏が歩いた時に出会ったリタイアした鉄道保守員の社宅を覗いたが無人であった。そのうち親戚であるという老人が現れた。家人は病気でアンカラへ行ってしまったとガイドを通じて事情を知った老人に土屋氏持参の6年前の写真と今回のその場で取ったチェキの写真を託し、鄙びた無人のクルチメンチ駅を離れて、

出発点のクルスンルへ向かった。

 

 まず、前回6年前に平林、諸岡、土屋、石塚、新井氏等がお世話になったという、クルスンルの警察署を訪れ、土屋氏が前回の記念写真を見せて挨拶し、平林氏から託された写真を手渡した。所長からの歓迎を受けた。6年前の警察の顔ぶれの多くは転勤または退職して居なかったが、若い一人に当時の人がいて、所長も写真には出ていないが覚えているとの事だった。友好的に歓迎され、歩行中何かあった時には力になって頂けそうな感触であった。

 

 歩行初日の第一斑はこの警察署前から午前10時丁度に歩行を開始した。

 

 4月16日、TosyaからOsmancikに向かう途上で、人里近くの道ばたでコウノトリの巣および田圃で餌を漁るコウノトリを度々見かけた。人とコウノトリとの共存出来る自然環境が大切にされているそうである。

 

Samsun到着の前日、歩行3日目夕方、雨の中、マイクロバスで到着したHavzaのホテルには、Thermal Hotelとあり、温水プールとジャグジー、日本に比べて一寸ぬるいが温泉があり、ゆったりと泳ぎ、湯に浸かって汗と垢、ついでにラク酒の助けも借りて疲れも落とすことが出来た。

 

歩行3日目のこの日午後、4,5班の歩行終了時間頃、この地点付近で一時雹、および雨が降り、迎えのバスを待つ間、付近の藁小屋に避難させてもらい、チャイをふるまわれるなど、歓迎を受けた。その後夕方にも雨が降ったが殆ど歩行中には雨に合わず幸いであった。

 

 毎日朝は薄く春霞がかかったような天気で、歩いているうちに日差しが強まり、歩行中は半袖でも汗ばむような暖かい日が続いた。夜には涼しくなり、日中でも日陰に入ると涼しく(人によっては寒く)感じる程度で、空気も乾燥している毎日であった。

 

 田舎道の歩行中に出会った人たちは殆ど例外なく、メルハバと声をかけるとにこやかに手を振って応えてくれ、トラックの運転手も手を振り、時にはホーンをならして応じてくれた。中には車を止めて乗って行けと熱心に進めてくれる人もあり、身振り手振りで断るのに苦労するほどであった。

 

この地では韓国人の進出が予想以上であり、我々を見てコリア(韓国人)かチン(中国人)かと問われる事も多かった。こちらがジャパン、ジャパニーズと応えると、おうジャポンといって相好を崩して大きな身振りで応えてくれ、近寄って握手を求め、チャイ(紅茶)を飲んで行けと何度も強く進めてくれる人も多い。時にはごちそうになり、時には先を急ぐからと身振りで何度もお断りして歩き続けた。親日的であることを常に感じた。

 

一方、観光地では日本人相手の物売りが多い。日本人観光客が最も財布の紐がゆるいからだそうである。韓国人の財布は固いということが定説だそうだ。物売りにうるさく近寄られたら、「コリアン」といった方がよいとのアドバイスを受けた人もいる。

 

特に江戸時代に日本でトルコの難破船の乗組員を約70名救助したこと。日露戦争の時にロシアのバルチック艦隊のボスポラス海峡通過を阻止して協力してくれたこと。その結果ロシア艦隊の日本海への到着が大幅に遅れ、日本海会戦で有利に戦い、勝利できたこと。等から特に日本への親近感、日本びいきが強いものといわれている。

 

このほかに、トルコではサッカー競技が盛んであり、昨年のサッカーワールドカップで日本がトルコに負けた事も、日本に対する好感の上でプラスに作用しているのではないかと思ったのは、思い過ごしだろうか。兎に角老若男女を問わず、極めて友好的であった。

 

街を見ていてガソリンスタンドの価格が高いことが目についた。レギュラー1リットル3YTL〜ハイオク3.3YTLYTL新トルコリラ=約8090円)すなわちリットルあたり約250円以上。周辺国に比べて油田をあまり持たない国の厳しさがうかがわれる。消費税は18%?とか聴いている。

 

トルコは政教分離政策の国といえども98.%がイスラム教徒の国である。街にはEFESの看板でそれと分かる酒を売っている店はよく見かけるが、街の食堂、レストランで酒を飲めるところはほとんど無い。

毎日ホテルに帰ると酒の出る食堂を探し、ようやく見つけると、比較的高価なレストランであることが多い。酒飲みには若干不便な国である。

 

 魚料理のレストランはあり、黒鯛やスズキの焼き魚があるが、ケバブ(羊や牛の焼き肉)の店に比べて高価である割に日本に比べて味はいまいちであった。酒の出る魚料理屋では2~3種類の小さな魚のフライが比較的手頃で美味しかった。イスタンブールではガラタ橋の焼き鯖サンドイッチが有名である。

 

 自分で酒を飲むことにはおおらかであるが、酒を提供する店はおおっぴらにはやり難いらしい。手近な店で安く夕食をすますには、酒は食後ホテルの自室に持ち帰って飲むのがよい。きうり(1kg=1YTL)とトマト(1kg=2YTL)を買い込んで、日本から持参したインスタントみそ汁の味噌を着けてつまみにするのが特に評判がよかった。

ビラ(ビール)は約2.5YTL、水500mlペットボトルは0.5YTL、ラク酒(RAKI:iの点の無い字をウと発音しラクと読み、水で割ると白く濁り、ライオンのミルクといわれるアルコール約45%の蒸留酒)750mlは約25YTLつまり2000円から2500円。慣れるとやみつきになるらしい。歩行中毎夜のように一室でラク酒の酒盛りが行われた。

 

  歩行予定終了後、リゼからトラブソンに移動。ミニバスをチャーターして山奥深くの断崖に造られたシュメラ僧院を観光。運転手は初めての山道にもかかわらず、ノープロブレムの繰り返しで険しい道を僧院のすぐそばの駐車場まで運び上げてくれた。

 

 トラブソンの市内散策では、土屋氏の話から、6年前に平林氏がカラスミを買い占めたという海岸の魚加工屋を探し当てたが、カラスミを作っていた場所は鮮魚店に様変わり持ち主も変わっていた。外の広場に軒を連ねる鮮魚店の親分風の老人は既に亡くなり、カラスミを売っている店もなかった。6年前に続く2匹目のドジョウはいなかった。

 

 トラブソンで今回の歩きのパーティーは解散。直帰の荒井リーダー、ネムルートに向かう6名、カッパドキアからイズミルに向かう2名、それぞれのフライトで海岸の小さな空港から4月22日に飛び立った。

 

 メンバーの中には世界の3大料理といわれるトルコ料理に大きな期待を寄せてきた人もいたようだが、パンとケバブ(焼き肉、特に串に指したものをシシケバブという)、煮込み以外は期待はずれだったようである。最も我々のケチケチ旅行ではホテルもレストランも星三つ以上は期待できないので、豪華な宮廷料理の味など味わえないが、全員の一致した意見としてはパンは確かに美味しかった。どの料理を取っても日本人の口に合わないような味はなく、そこそこの味で美味しかったように思う。                                     写真はサフランボルのトルコ料理

 

 トルコ女性は20歳くらいまでは本当に綺麗である。なかには連れて帰って育ててみたいと思ったという人もいたが、25歳くらいから肥満が始まり、デニムの長いコートで体のくびれと出っ尻を隠している姿を見るとかわいそうになってくるとの感想をのべていた。

 

 トルコには純粋のトルコ人なるものはなく、歴史的にいろいろな人種の混血だそうである。最近でも若い夫婦が自分の子供のおしりに青い痣があるのを見て、驚いて病院に駆け込んで来るという事もあるそうである。外見的には想像できないが、蒙古の血を受けた証拠の蒙古斑であるとの説明を受けて、ようやく納得するという。

 

 なお、歩行パーティーが解散して後の観光で、ネムルートダーウへの拠点の街、マラティアで迎えた4月23日はトルコのこどもの日の休日。街の中ののサッカー場でマスゲームなどの催し物があり、街では子供連れの買い物の人や子供達で、明るい笑顔が街中にあふれていた。我々も笑顔のお裾分けを頂いて幸せな気分となった。

 

 

 

 

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