42.サムスン〜ファトウサ 

 1.計画コース概要
地域分類 中央アジア 区間番号 42
国名 トルコ 実施時期 '01.4.27-5.13
計画区間 サムスン〜ファトウサ 歩行者 宇賀村 充和(9期)、朝子

 2.行き・帰り
    出発日 出発 到着 便名
行き 01.4.27 関西空港 イスタンブール JL439
帰り 01.5.13 イスタンブール 関西空港 JL450

  
 3.現地の活動
日目 年月日 国名 出発〜到着 区間距離 天候気温 ℃
01.4.29 トルコ サムスン〜テッケキョイ 12 km 快晴 12/22
2 01.4.30 トルコ テッケキョイ〜チャルサンバ 24 km 快晴 12/22
3 01.4.30 トルコ チャルサンバ〜テルネ 25 km 快晴 12/23
4 01.5.01 トルコ テルネ〜ユニエ 28 km 10/19
5 01.5.03 トルコ ユニエ〜ファトウサ 24 km 雨時々曇 9/14


4.42区間コース


5.見聞録
 4月29日から5月3日の5日間で 第42区のサムスンからファトゥサ間の113Kmを妻と二人で歩きました。
トルコは始めてであり少し緊張しましたが、前に行った人の話と10数冊近くのトルコに関する本の情報で、 さほど構えるという状況ではありませんでした。 でも、一応長い飛行機の疲れを取るためとスタート地のサムスンへの飛行機便が早いためイスタンブールで2泊しました。 ホテルはワンゲルの仲間が捜してくれたトルコの旅行社のドラーグツアーに頼んであり安心でした。 ただ、15日間の長旅を予定通りにいければ良いだけでした。

  今回も
1.空身で歩く、
2.スタートからゴールまで方向を揃えて順に歩く、
3.ホテルはなるべく連泊する、
等の自分なりのこだわりを持って歩くことにした。
その為、道中はホテルを2カ所にした。 最初のホテルは1日目のスタート地に決め、1&2日目を歩く。 3日目に次の拠点のホテルに移動する。毎日バスで歩くスタート地に出勤退社をする。 時間は多少かかるが、快適なウォーキングが出来る計画を立てた。 

4月27日(1日目)
イスタンブールの空港でドラーグ社のMrアフメットに迎えられ、初日のホテルに運んでもらう。 ホテル代$1000を支払い、先々の場所の情報を聞く。 

4月28日(2日目)
神経が高ぶっているのか、5時半に起きる。朝飯をしっかり食べて出発。 明日のサムスンへの飛行機が早いので、空港へのシャトルバスのハバスの乗り場を確認する。 それからエミノニュ桟橋へ行き、ボスポラス海峡を黒海に向けて進む船に乗る。 終点のアナドル・カヴァウで降り、魚料理の昼をとる。少し先の小高い丘に上がり、黒海からの侵入者に備えた城跡を見る。 体を休めるため、帰りも船で帰る。1.5時間の乗船料は一人100円と安い。

4月29日(3日目。ウォーキング1日目)
6時半にチェックアウトし、7時のバスで空港へ向かう。 空港でジャンボ・サラミハンバーグとコーヒーを飲み、30分前にゲートへ。誰もいない。 5分前にぞろぞろと集まった乗客と一緒に飛行機へ。7時50分発の飛行機は150席位だが30人位で、ガラガラ。 到着したサムスン空港から町へはシャトルバスはなく、ドルムシュかタクシーになる。 ドルムシュが混んでいるのでタクシーで町へ行く。方向が変だと思ったら、新空港で旧空港とは町から反対の方向にあった。 今夜の宿のByuk Samsun Oteli は四つ星ホテルで中々良い。(Fig 1.)
でも今日は少し歩かねばならない。ナップサックに水筒とお菓子を詰めて部屋を出る。 ロビーで親切にしてくれたボーイに証明書に初めのサインを貰おうとしたら、レセプションに回された。  今回のウォーキングの第42区の基点はサムスン駅とした。
(Fig 2.)
ホテルの手配で世話になったドラーグ社から貰った帽子とTシャツ姿で記念の写真を撮った。 国道10号線にファツゥサまで113Kmを行くと思うと気が重い。 でも歩いていれば終わるというのが今までの経験で分かっているので気は楽だ。 今日の終わりのテッケキョイへの曲がり角で(Fig 3.) 村の中心地までどのくらいの距離か聞いたが、分からない。 反対方向へ行くバンに乗った二人ずれが来て、どこに行くかと聞かれた。 サムスンのホテルの名前を言うとUターンしてきてホテルまで送ってくれた。 一日目で疲れており大変助かった。ビールとトルコ料理で一日を締めくくる。

  4月30日(4日目。ウォーキング2日目)
 ホテルの斜め前からドルムシュで昨日のテッケキョイへ向かう。 このミニ・バスは少々窮屈だが安く、一人30円で25分かけて昨日のところに着いた。 今日も天気が良くて暑い。でも長袖のシャツを脱ぎたくならないくらいで歩き易い。 2時間歩いて昨日降り立った飛行場への分岐点を過ぎる。
 国道沿いの主要都市からの距離を示す看板(Fig 4.)を励みにひたすら歩く。 ほとんど10号線沿いであり、面白みは少ない。 昼飯時になり適当な村に着いたので、良いレストランがないかと道を曲がる。

学校があり生徒がわんさか出てきた。How are you ? What's your name ?  と大騒ぎ。 最初に話しかけてきた中学生に証明書のサインを貰い、国道に面したパン屋で昼にする。 片隅のテーブルでパンと牛乳を食べているのを外から大勢が見ている。スター気分であった。 歩きだしたら女の子が二人ついてくる。
 家がこっちにあるのかとほっておいたが、変なので立ち止まると、追いついて二言の英語を話すとかけって帰っていった。 二人とも話たかったんだと理解した。更に進み、国道沿いの警察で検問をしていた。 来いというしぐさをするので、近寄ると親指をくわえて「チャイ」(紅茶を飲んでいけ)のしぐさ。 時間がないと言うのに聞かないし、警察では相手が悪いので入っていく。 庭の隅のあずまやで男が5人涼んでいた。

 証明書を見せ、サインを貰う。ミネラルウォーターを頼み、妻と半分ずつ飲み、礼を言い先へ進む。 今日の終わりはチャルサンバの国鉄駅(Fig 5.)ときめていた。 村に入ったが駅が見つからない。80万分の1の地図では村は丸い印があるだけ。 通りがかりの人に聞くと説明してくれた不明なので、連れて行ってくれることになった。 10分位で荒れた駅に着く。無人で線路の端には停止柵があり、ここで終わりと分かる。2日目も無事終わる。 後は国鉄のローカル線でサムスンへ戻ればよい。今日の締めくくりのビールが待っている。

5月1日(5日目。ウォーキング3日目)
タクシーで長距離バスターミナルのオトガルへ行き、今日から3泊するウニエのホテルへ向かう。 バスは2日間の歩いたところを30分余りで通り過ぎた。
 これから3日間歩く所かと目を皿にして見ていると、ウニエの手前で「OTERI KUMSAL 」が目に入り降りる。 ついていた。1時間23分二人で350円で到着。部屋に荷をおいてすぐにナップサックを持ち、バスで昨日のチャルサンバまで戻る。 バスは混んでいたが席を2つ空けてくれた。妻=女性への配慮か? 40分余りで着く。
 今日と明日の歩く所を戻る。2時間余り歩き、ガソリンスタンドのロカンタ(レストラン)で昼にする。 シシカバブのサンドイッチ(Fig 6.)を頼むと薄く焼いた平たいパンが出た。
 腰があり塩味が少し強いがおいしかった。ホテルを移動してから歩き始めたので遅くなり、目的地テルメには17:00になった。 バスでホテルに戻る。疲れてはいるが3日間も泊まるホテルなので洗濯してから、夕飯にする。ビールがうまい。

5月2日(6日目。ウォーキング4日目)
昨日のテルメからホテルまでが今日のコース。 ところどころで道路工事をしており、数年したら立派な国道になると思う。天気は下り坂で曇りになり、歩き易い。 でも最長の28Kmの所で疲れも溜まりつつあり多少しんどい。 道は黒海沿岸で平坦でよいが、所どころ真っ直ぐではるか彼方まで見え、30分も見通せる道(Fig 7.)は辛いものがあった。 でも歩いているうちにそれも後ろに過ぎて、ホテルに近づいた。途中黒海沿岸(Fig 8.)に出て30分余り歩く。 もやっていて対岸は見えず。海岸の立派な別荘は季節外れで、人の気配もしない。打ち寄せる波の音だけの静かな世界でした。 今日も疲れた体にビールがうまかった。

5月3日(6日目。ウォーキング5日目)
今日でウォーキングは終わり。そう思うと元気が出る。雨が時々強くなり傘をさして歩く。 ウニエの町を黒海沿岸沿いに歩き、終点のファツゥサを目指す。気分的にもう大丈夫と思うと次々に過ぎる町並みが早く感じる。 ファツゥサの海岸にいた若者にサインを貰いこの第42区を締めくくる。
 計21人のサイン(この後もう一人に貰う)で証明書は完結とした。 終点はファツゥサのオトガルのそばのジャーミー(イスラム教の寺院)とした。 英語を話す女学生と一緒にオトガルまで行く。若い世代は英語教育と外国人への積極的な態度が感じられた。  戻るバスに乗って出発を待っていると、一人のトルコ人が日本語で話しかけてきた。聞くと名古屋の近くで働いていたとのこと。 仕事がないためか、外でたむろする男性が結構いた。詳しくは分からないが、失業率は高いと感じた。 帰りに時間があったので、ウニエの町で降り町中をぶらつく。 トルコのお風呂のハマムもあり(Fig 9.)この辺では大きな町であった。

5月 4日( 7日目)ウニエ−>サムスン−>アンカラへ移動
5月 5日( 8日目)アンカラ見物(アンカラ城・他)
5月 6日( 9日目)アンカラ−>ネブシェヒル(カッパドキヤ)移動
5月 7日(10日目)カッパドキヤ見物(ウフララ渓谷・地下都市・キャラバンサライ)
5月 8日(11日目)カッパドキヤ見物(ギョレメ・他)ネブシェヒル−>カイセリ移動
5月 9日(12日目)カイセリ−>イスタンブール移動、イスタンブール見物
(シルケジ駅・エジプシャンバザール・グランドバザール)
              シルケジ駅はヨーロッパからの鉄道の最東端でオリエントエクスプレスもここから出る。期待したがちょったがっかり。(Fig 10.)
5月10日(13日目)イスタンブール見物(トプカプ宮殿・ハレム・アヤソフィア・ブルーモスク・地下宮殿)

5月11日(14日目)イスタンブール見物(ルメリヒサル・トプカプ門・他)
            ルメリヒサルは城跡だが(Fig 11.)やることが大きい。世界の荒波にもまれているとこの位をやらないと治められないのか。
5月12日(15日目)イスタンブール見物(ウシュクダラ・ハイダルバシャ駅・他)
ハイダルバシャ駅(Fig .14)はアジア側の最西端でなかなか立派であるのと駅の建物を出て道路向こうからフェリーでイスタンブールの町へ渡れる。 イスタンブール−>成田
5月13日(16日目)成田着

ルート:
コースは国道10号線に沿っており、特に問題となるような点はない。 強いて言えば自然に浸りながら歩くという環境ではない。 だからと言って悪い訳ではなく、人との交流には不自由せず、ワンゲルの里歩きの趣は味わえた。
そういう意味では、今回も藤田さんに感謝したい。 リハビリに頑張っている藤田さんに時間はあるのであせらずにゆっくりと一歩一歩進んで欲しい。

自然環境:
コースは思っていたより、緑がありたまたまと思うが歩き安かった。 普通は5月初旬はWETシーズンだが、今年は雨が降らないとのことで我々にはラッキーであった。 もう少し早い季節の方が更に歩きやすいかも知れない。

人: 面積は2倍だが人口は日本の半分というが、イスタンブールは1000万都市との事。 都会は何処もかわらない。が、失礼ではあるが貧しさの割には乞食の類が少ない気がした。 地方は非常に人なつっこい。何でもないのに寄ってきて色々と聞く。
 また暇な(?)人が多い。街角の至る所でたむろしている。村を歩いていると2階のバルコニー(私の家には無いが)に座ってじっと外を見ている。 うっかり立ちションも出来ない。有料のトイレを多用せざろうえなかった。(トイレは有料、場所によってはレストラン内も) でも手を振ると恥ずかしそうに手を振り返してくれた。シャイな人が多い。

 歩くのを最初は最初は右側を歩いていたが、後ろから来る車が止まっては「何処に行く」、「乗って行け」、「歩きたいのだ」のやりとりが煩雑で反対側を歩く。 今度は対向車だけでなく、むこうになった反対車線の車がクラクションを鳴らして通る。子供・学生はついてくる。 大人は指をくわえてチャイ(紅茶)を飲まないかのサインをくれる。 地方都市のスーパー内を見ていたら、チャイを出しくれた。 そんな有様で、邪険にすると悪いと思っていると、手品的なスリに会い10,000,000トルコリラ(約1000円)を献上した。 なかなかの技量であった。

交通:
飛行機///イスタンブール・アンカラと主要都市間は大体ある。値段は日本と変わらない。 きれいで安い長距離バスが発達し(Fig .12)、飛行機はすいている。 7,8時間もバスの旅を楽しむ余裕が無いので国内便に3回乗ったが、バスなら1/10近い費用で行ける。 鉄道///衰退している。値段は安いが、便数少なく、列車は汚い。 スピードもバスに負ける。チャルサンバ・サムソン間の各駅停車は約1時間で100円/人。

   バス///市内バスは市営と民営の2種類があり、市営は運転手しかいずに、事前に切符を買ってないと乗せない。 民営は中で切符を売る車掌がいてそこで買う。  ややこしい。中・長距離はベンツか三菱のバスできれい。 乗るとコロンヤという香水をサービスに回る。殺菌効果もあるらしい。飲み物も出る。 近くも乗せると思うが1時間以上くらいがテリトリーか。一度ドルムシュに乗れと乗り場を教えてくれた。 サムスン・ウニエ間80分で175円/人。アンカラ・ネブシェヒル間5.5時間800円/人。

   ドルムシュ(ミニバス)///街角に「D」の小さな看板があるのが乗り場。でも、聞くしかない。非常に多い。 サムソンではハンドトーキーで客をさばいており、私の乗るバスが来たら合図してくれた。 金は乗ってから行き先を言うと答えてくれる。財布を出してどれかなと迷っていると周りの人が適切な指示をしてくれる。 札を前の座席の人に渡すとリレーされて前に渡る。 運転手がつりを出すと隣の助手(客だが自発的orボランティア)が受けて、元の逆ルートで私に手渡される。 客の自動搬送設備という感じ。バスより少し高めだが、安い。サムスン・テッケキョイ25分30円。

   地下鉄///アンカラの地下鉄はとてもきれい。5回券25円。イスタンブールのも良かった。
タクシー///ドルムシュより更に高い。同じところを乗らないので正確でないが、10〜15倍との感じ。 ぶつからないから運転はうまいがとばす。

   船///ボスポラス海峡を2回とウシュクダラへのフェリーに1回乗ったきりだが割合快適。   値段は100円、50円と安く庶民の足という感じ。ボスポラスは3000トン位(?)の船でガラガラの時に乗ったが採算が心配になるくらい。 船も狭いところを沢山通り過密状態で運行している。

トイレ:
歩行中も人家が切れず、そこに人がおり、人の目があった。それ故、立ちションがやりにくく5日間113Kmを歩く間に3回くらいと私としては新記録であった。 トルコでトイレがこれほど有料化されているとはと驚いた。 値段はオトガル(長距離  バスターミナル)が安く10円のがあった。 最高はボスポラス海峡の黒海側の出口のアナドル・カヴァウのトイレが25円で最高であった。 最高はきれいでなかったが他は大体きれいに掃除されており、良かった。最高は外で隠れるところが無く、高い有料トイレを使わざろうえない。 ただで借りたガソリンスタンドのトイレはトルコ式(?)で水道からバケツにホースで水を入れるようになっており、柄杓が  置いてあり、水をくんで流すという人動式であった。 本にはもう少し蘊蓄を傾けた話があったが未経験であり、誤解を招くので割愛する。

両替:
ドラーグ社(Fig .13)の人がトルコはインフレが激しいので小刻みに両替をした法が良いと最初にアドバイスしてくれた。 レートは個人>町の両替>PPT  (郵便局)>銀行>ホテルの順で当たり前か。 私は個人とPPTは使わなかった。個人は余りにも町中の雑踏の中であり、両替するのをためらった。
PPTは空いていたが時間が制約あり両替業務は終わったとのことであった。  飛行場で2000ドルを両替したが2,120,000,000トルコリラ(TL)で頭では理解していたが、何がなんだか分からなかった。 私は1,000,000TLを100円として考え、ここでもそう書いている。 実際は125円/$、1,060,000TL/$であり、120円/1MTLが正しいのです。 町の両替は1,150KTL/$位で、分かっていればここで変えておくのが良い。 でも両替する場所が分からなく、財布の中を心配しながら旅するのは辛いので、変えられる時に変えた方が良い。 財布が厚くなる為か、CD機は町中にあり、日曜日でも使え、並んで引き出していた。
 またカードも使えるところが多く、私は1200円位の支払をカード払いにしたが、いやな顔をせずやってくれた。 これもインフレで札が膨れるせいだろうか。インフレが激しいため  トルコの人は金かドルに変えて貯めるとのこと。 それ故、1ドル札を大量に持ちチップとして使うと喜ばれるし、良くドルで払えるか聞かれた。 勿論、レートでは  安くなっているから、私もメリットがある。誤魔化されなくば、店で値切るときもこの手は使える。

食べ物:
トルコレストランのロカンタ(Fig .15)で食べると大変安い。 ただ、塩辛い、香辛料がきいている、羊の味がする、等をクリアー出来るか、より分けられることが条件と思う。 また、私からするとアルコールがないところが多く合わない。都会  ではロカンタでビールを飲めるが地方では難しい。 でも、言葉が不自由なので料理が並べてあるロカンタの、見て選択できるシステムは安心できる。 作りおき出来ることも安さの理由かも知れない。妻が誉めていたが、豆料理はふんだんにあり、とてもおいしい。 野菜も日本のに似たのが多く、サラダ類は良かった。  トマトやキューリは日本の物かと思うくらいでした。 特にキューリは路上で10円で売っており、買うときれいに皮むきしてくれる。それをかじりながら歩いている。
   それ以外に木の実を買って小さな袋に入れたのを上ながら歩く人も沢山いる。   殻を路上に吐き出すのは頂けない。焼き栗を売っていたので買った。 味は良かったが、50円というの100円出したがつりを出さずしらばっくれているので、気分を害しほろ苦い味となった。 お菓子、伸びるアイスクリーム、ヨーグルト、など日本にない物に接してやはりカルチャーの違い、遠さを感じた。 最後にここに書いたのは、私の私見です。割り引いて理解していただきたい。