カザフスタン  戻る 
 1.計画コース概要
地域分類 中央アジア区間番号79〜83
国名 カザフスタン( KAZAKHSTAN )実施時期2003.5.16〜5.30
計画区間 カザフスタン東部(Kordai〜Korgas)歩行者 7名
  2.メンバー表
No役割・分担
 氏  名
備  考
1リーダー 和田 航一 3期・途中帰国
2サブリーダー 石塚 正太郎 5期・途中からリーダーを引き継ぎ
3  土屋 淳一 4期
4記録 荒井 龍男 8期
5渉外 跡部 輝彦 6期
6会計 綾部 迪夫 7期
7  小林 秀行 都立大学・工学部1961年卒 山岳部OB
*通訳 Ai Varl 旅行社より手配 
*ドライバ  旅行社より手配
  3.行き・帰り 荒井(8期)
出発日出発到着便名
往路03.5.16 成田空港 10:00 ソウル空港 12:30 OZ105/アシアナ航空
03.5.16 ソウル空港 16:30  アルマティ 20:55 9Y306/カザフスタン航空
復路03.5.30 アルマティ 6:40 ソウル 14:10 9Y305/カザフスタン航空
02.10.24 ソウル 18:35 成田空港 20:45 OZ106/アシアナ航空
  4.現地/アゼルバイジャヤンの活動 荒井(8期)
滞在日年月日出発〜到着区間距離天候宿泊
03.5.16
(金)
 アルマティ空港〜市内ホテル 豊田通商・山田氏、旅行社・アレキサンダー氏、通訳・アイバール氏の出迎えを受ける。日本との時差;-3h
***  
  Hotel Kazakhstan
203.5.17
(土)
 Asia Discoveryとの打ち合わせ後ホテル発9:00→車でKordayへ15:00着、3班に分かれ30km歩、ホテル着20:10
30 km
 Korday Resthouse
303.5.18
(日)
 ホテル発/8:15、歩行開始/9:10、3班(石塚・小林/土屋・荒井/跡部・綾部)に分かれアルマティの手前108kmまで75 km曇時々小雨
一時豪雨
 Motel Zhuldyz
403.5.19
(月)
ホテル発/8:15−歩行開始/8:45、3班で歩行。10:00amころ、豊田通商・山田氏が車で到着、歩行中の和田隊長に日本からの緊急連絡を伝えた。(和田隊長の母親入院のため緊急帰国要請)山田さんに帰国のための便確保をお願い。
3班が州境の検問所で止められ、歩行の趣旨説明に時間をとられた。アルマティの手前33kmまで。
75 km快晴
29.5℃/13:40
 Motel Zhuldyz
503.5.20
(火)
 ホテル発/8:00、歩行開始/8:40、1班/綾部・荒井、2班/石塚・土屋/小林・跡部、2班はアルマティの外周道路キロポスト不備で27kmを歩行、和田隊長はこの朝のカザフスタン航空で帰国、以後リーダーは石塚へバトンタッチ。77 km快晴
32.8℃/13:00
 Hotel Kazakhstan
603.5.21
(水)
ホテル発8:15、9:20歩行開始、1班 土屋・綾部、2班 跡部・荒井、3班 石塚・小林。3班が26Km歩いた。計画では今日通過予定のシリク shilikがアルマトウイから108Kmであったが、実際は115Kmあり、地図の信頼性に不安を感じ.残りの距離数に懸念が生じた。アルマトウイ先120Kmまで歩行76 km快晴
28.7℃/13:00
 Hotel Kazakhstan
703.5.22
(木)
10:00〜11:00/日本大使館角崎(つのざき)大使と懇談(山田氏の案内)、以後、バザール・昼食・土産物店・酒店を回る。17:O0からAsia Discoveryと料金清算(和田さんのキャンセル料とも)問題なし。夕食は山田氏と会食休養日曇のち晴 Hotel Kazakhstan
803.5.23
(金)
ホテル発7:55、9:50歩行開始。
1班 小林・綾部、2班 石塚・荒井、3班 土屋・跡部
歩行終了後、ホテルへの途中で未開放地域の第1の検問所(アルマトウイから214Km地点、charyn川手前)を通過。今回の許可証は、メンバー全員がまとまって通過することが条件のようで、明日の歩行形態を変更することにした。アルマトウイ先195Kmまで歩行し、18:15ホテル着。ホテルはションジュイ Shonzhyの手前を国道から入ったところにあり。
75 km GuestHouse
(旧ソ連時共産党幹部用の
狩猟目的ゲストハウス )
903.5.24
(土)
ホテル発8:00、8:20歩行開始。1班/土屋・小林、2班/ 石塚・跡部、3班/綾部・荒井。今日は19Km先の第1の検問所通過になるので、メンバーがまとまって検問所を通過するために、はじめ1班は7Km,2・3班は6Kmずつ歩き、車が全員を拾って検問所を通過した。通過は間題なし。以後、1班は18km、2・3班は19Kmずつ歩いた。アルマトウイ先270Kmまで、Korgas国境まで90Kmへ到達。15:55ホテル着
75 km薄曇
やや風があり、寒く感じる
 GuestHouse
1003.5.25
(日)
ホテル発8:00、8:20歩行開始。1班/石塚・土屋、2班/  小林・荒井、3班/跡部・綾部。 今日も、アルマトウイから286Km地点(イリ川を渡った先)に第2の検問所があった。
歩行終了後、伴走車で中国との国境、コルガス国境へ向かった。ところが、4Km手前の検問所でストップさせられた。新型肺炎SARSのため中国国境の通行が禁止(物資の流通のみOK)されているようで、ここ以後の通行を認めていないようだ。コルガス国境手前15Kmまで
75 km晴のち快晴 ジャルケント Atlantik HoteI
1103.5.26
(月)

ホテル発7:40、7:50歩行開始。1班/石塚・アイバール、 2班/小林・綾部、3班/土屋・跡部、ナビ兼撮影・荒井。
今日はコルガス国境(今回の最終目的地)手前4Km地までを3班に分かれ歩いた。 9:00 コルガス国境手前4Kmの検問所着。この検問所は、まだオープンしておらず、大型トラック(トレーラー付)が30台近く停車していた。昨日の折衝経過で、国境までの歩行は難しいだろうとあきらめ、この地点で今回の歩行を終了することにした。16:20ホテル着         

11 km快晴のち曇 Almaty Kazakhstan Hotel
1203.5.27
(火)
今日から3日間はキルギスのイシク・クル湖観光
ホテル発/7:55、11:45/コルダイ国境(出国、キルギス入国)12:35、16:45(時差−1時間)チヨルポン・アタ国境通過は問題なし。                     
*** 曇時々小雨 Cholpon Ataのホテル
 (サナトリウム泊)
1303.5.28
(水)
9:00〜11:30/博物館・岩彫刻・バザールの観光、ホテルで昼食、14:00〜16:00/湖畔観光
今日は曇天のため、4〜5,000m級の山々は見えない。  
*** 曇時々小雨 Cholpon Ataのホテル
 (サナトリウム泊)
14
03.5.29
(木)
ホテル発/5:55、途中雲の切れ間から山々を見た。
10:55/国境(出国・入国手続き)、16:50(時差+1時問)アルマトウイホテル着、国境通過は問題なし。
Asia Discoveryと最終打ち合わせ。夜、山田氏と夕食   
*** 曇のち快晴 Hotel Kazakhstan
15
03.5.29
(金)
ホテル発/4:45、5:05/アルマトウイ空港着(出国手続き、チェックイン)、5:40/空港発。
アルマトウイ出国の際、税関職員の難癖で少しゴタゴタあり。
***   
   歩行距離 計577 km  
 5.概要 跡部 輝彦(6期))

昨年10月のカザフスタン西部の旅に続いて、豊田通商のお世話になりながら、5月16日から30日の予定で、キルギスとの国境の町コルダイから、中国国境のコルガスまで577kmを歩いた。
メンバーは和田(リーダー、3期);土屋(4期);石塚(サブ・リーダー、5期);跡部(渉外、6期);綾部(会計、7期);荒井(記録、8期)に加えて、TMU山岳部OBの小林さん(36年機械)が参加された(添付写真参照)。和田リーダーが3日目にご母堂の急病の為に急遽帰国されたので、前回に続くめぐり合わせを残念に思います。
予定通り26日に中国国境4km手前までの全行程を終了して、翌日、幻の湖キルギスのイシク・クル湖行ったが、あいにくの悪天候で周囲430kmほどの巨大な湖の周囲は4000m級の山並みで囲まれているらしいと感じるだけで(山々は見えなかった)帰途へついた。


<写真 左から土屋、跡部、石塚、和田、綾部、小林、荒井、コルダイの出発点>

 6.見聞録
 6.1コース概要  荒井 龍男(8期)
 
@ スタート地点
 昨年(2002年)10月歩行終了地点のコルダイ Kordayのロータリーが、今回のスタート地点になる。ここは、カザフスタン最大都市アルマトゥイ Almatyと、隣国キルギスの首都ビシュケク Bishkekを結ぶ国道(M33)の国境近くにある。

A 前半のコース
 コルダイをスタートすると、標高差400mののぼりになる(最高地点海抜1233m)。以後はほぼ平坦な、集落の少ない緑の大原野(ステップ地帯)の直線道路(M
33)であった。アルマトゥイでは、市街地の煩雑さを避け、北側の外周路を歩いた(歩行距離では、わずかの短縮)。

B 中半のコース
 アルマトゥイをすぎた国道(A351)は、進行右(南)に4〜5,000mの残雪の山脈を見ながら大原野の中の平坦な道を歩き、所々ではこの山から流れ出た川を渡った。シリクShilikをバイパス道ですぎ、南から張り出した尾根を切り通しですぎ、キルギスへの分岐道(通行は少なそう)を右に見送り、国道A352に入る。
 ションジュイ Shonzhyの手前、シャルイン Charyn川を渡る橋の手前の検問所
(アルマトゥイから214Km地点)で未開放地域に入る。検問所の通過は問題なかった。ただし今回の未開放地域通行の許可証(通行は何回でも可能)は、メンバーが一緒に通行するようになっていたので歩行はこの検問所で2分して歩いた。

C 後半のコース 
 ションジュイはバイパス道ですぎ、北に進路を向け、相変わらずの大原野の中を進む。中国から流れ出るイリ Ile川を渡ったすぐが、第2の検問所(アルマトゥイから286Km地点)になる。通過は問題なかった。コクタル Koktalのロータリーをすぎると、国道A353に入り東に方向を代え、ジャルケント Zharkentの町をすぎる。
 中国との国境コルガス Korgasまであと4Kmの第3の検問所からは、新型肺炎SARSの影響か人間の通過は許可されず、歩行はここで終了にした(事前情報でも、カザフスタン側は出入国は禁止しているとのことだった)。
 6.2 言葉  跡部 輝彦(6期)

勿論、英語は極めて限られ、ロシア語とカザフ語の世界。文字はソ連時代は当然キリル文字だったが、独立当初に中央アジア一帯にトルコ化の波が一時期走って、カザフ語をトルコ語表示することもなされたので、交通標識その他の看板等の表示がすべてゴチャゴチャで、いちいち「これは何語でかかれているか?」と考えなければその先へ進めない。地名は地図と道路標識と表示が異なり、なんと言う所か判りにくい。

 6.3 食事・飲料  跡部 輝彦(6期)
<食事>
中央アジア共通的なのは、シャシリック(中東ではシシカバブ、日本では焼き鳥)、ラグマンと言う煮込みうどんとロシア風スープの現地Versionにナンが付いてくる。メンバー中に醤油を持参して、毎度「魚の塩焼きはないの?」と無理を言う者もいたが、おおむね上記現地食にて満足した。ただし昼は持参した食糧(朝食のナンや自分のビスケット)しかないことも多かった。現地の生水で洗った生野菜はなるべく手を出さぬようにしたが、何を口にしても全く平気なステンレス張りの胃腸の持ち主もいた。
<飲料>
前回にミネラル・ウオーターの不足に悩まされたので、豊富なアルマトウイにて大量に仕入れたので不足することは無かった。ビールもしっかり調達して僻地や最後の行楽のカザフへ向かった。ウオッカやコニャックの消費はビールにプラスして毎晩1本では足らないほどの消費量だった。

<健康>
軽い下痢や便秘を経験した者もいたるが、発熱や長引くトラブルは皆無であった。

 7.人々との交流
  カザフスタンの人々との出会い(朝から酔っ払いに絡まれて)  跡部輝彦(6期)

カザフスタンは言うまでもなく、マクロに言えば地球上での僻地のひとつであろう。
最近の新刊書で「イスラム世界はなぜ没落したか?」というのがある。 なにせ、この中央アジアは世界の文化が東西に流れたその現場であるが、そこを歩いていると、時として「モンゴリアンはなぜ没落したか?」とか、「アレキサンダーの帝国はなぜ没落したか?」など頭をよぎると言えば、多少カッコ良すぎるだろうか?

もっとくだけて、この地域で程度が酷すぎない地方のホテルに泊まると、トイレに正倉院御物の「ペルシャ・ガラスの水差し」 (正式名称は多少違うかもしれないが)と同じような形のプラステイックスの水差しが可搬式ウオッシュレットとして置いてあるのが珍しくは無い。
それを見ると、「正倉院御物はこの道を担がれて(人かラクダにかは不明だが)日本までたどり着いたのだな」と変な感慨に打たれる。 しかし、人間の生活は驚くほど短い時間に大きな政治的影響を受けて大きく変質させられることがある。これは、問題でもあり、また、楽しみを温存すると言うことにもなる。

現在の中央アジア諸国は、アゼルバイジャンまで含めて、一応イスラム圏と考えられている。 しかし、1990年まではソ連圏の地方自治共和国であった。従って、宗教は、建前上は違法であり、飲酒はお咎めなしであった。
それ以前は、オスマン・トルコの支配下にあり、その時代までは文字通りイスラム圏であった。 さらに遡れば、チムール帝国の時代にイスラムは政治と結びつき文化の花開いたが、飲酒はご法度になったであろう。 それ以前はモンゴルであり、酒は大いに飲んだであろうが、宗教はラマ教かチベット仏教か、その点は明るくないが、そのようなものであった。

余談はさておき、鄙である中央アジアを歩いていると、45年前に東北の山沿いの村を歩いていた時を思い出す。 すなわち、人々の感情がその遠い昔の世界のママなのだ。勿論、大都会は、いずこも同じだが、地方では、まして、日本のようにTVが発達(日本でも地方では3局ほどしかないところもあるが)しているわけは無いので、地方は地方のまま存在し続けている。
最後の夏合宿だったと思うが秋田駒ケ岳集中で、森吉山コースに参加したときのことだった。 阿仁合鉱山山岳部の方々の先導で森吉山麓の山村を通り抜けようとしたとき、山岳部の人が「一寸待って」というから、何かと思って待っていると、なんと濁酒の1升ビンと湯のみ茶碗を抱えて戻ってきた。 その家の主らしい人と二人で「ノメノメ」とおすすめなのだ。こちトラは、合宿初日で荷物も多く、あと2時間ほど歩く予定なのに。 でも湯のみ1杯頂いてうまかった。

さて、カザフスタン東部歩行の9日目、5月25日のことだった。 昼食の場所を探して小さな集落の入り口にかかり「ここでメシにありつけるか?」と思っていたところで、ヒッチハイカーらしい中年男が寄って来て、例によって「何処から来て、どこへゆくか?」の質問は良いとして、ウオッカが臭うのだ。ところが、その男は首筋に平手で合図する。日本ならば「クビになる」という合図なのだが、旧ソ連圏では、「割り勘で1杯やろう」ということなのだ。
適当にあしらって、せっかくの昼食場所だが、それを見送ってでもその酔っ払いから逃れようと綾部さんは急ぎ足。 しかし、この辺の人たちは日常歩いているから、酔っ払いでも強いのだ。何かと話し掛けてくるが、ロシア語はあまり得意でないらしく、スグにカザフ語になる。
「集落を外れると彼の家があるので寄ってゆけ」と誘う。綾部さんは勿論ロシア語は判らないから、無言でやたら急ぎ足。酔っ払いはそれを評して「彼はサムライだ」という。「どうしてだ」と聞くと「何も言わないし、怖い顔をしている」と言う。 ともかく、彼の家への分岐でシガレットを1パック進呈して、気が緩んだすきに、「ダスビダニア」と一気に引き離したら、さすがに追いかけてこなかった。

コレだけではない。その5日前に小林さんと、割に大きい村の焼き鳥やで昼食を取っていると「座ってよいか?」と見るからに酔っ払いの老人。そのレストランでは馴染みの客らしく、周囲から代わる代わる声が掛かる。 彼は自己紹介して「私はリタイヤーした医者だ」という。60歳と言うので「私は63歳だ」と言ってやった。勿論私のほうが相当若く見える。
歩行計画の趣意書を読ませ、写真を取ってあげる。自宅の住所を紙に書いてくれるのだが「永年書いていない」と自分の住所に不安げであった。話が進むと、どうも医者というのはかなりヤバそうな、「軍隊で医療班に所属していた」程度のことのようだ。
食事が終わって「サヨナラ」と別れを告げると、「一緒に行く」と言って歩き出す。 年ではあるし、酔っ払っているから、スグに離れるだろうと思ったが、なんと強いこと。 小林さんが物も言わずにセッセと歩くがなんとか付いて来る。それが、なんと15分ほども続いた。さすがに次の集落に差し掛かると「ここでお別れ」と握手を求めてきた。

今回のカザフスタン東部での人々との出会いは、酔っ払いとの出会いのみが記憶に残るものであった。
  8.安全面の記録

<ハプニング>
アゼルバイジャンでは長時間にわたって、KGBとお付き合いされたパーテイーもあったが、今回は一度だけ、州境の検問所に呼び込まれ記録を取られることがあった。
徒歩旅行者など皆無の地域だけに「変わった奴等が通った」という興味本位の記録である印象が強い。ロシア語訳の会の趣意書とトヨタ自動車販売会社社長に頂いた身元保証のレターを熱心に読んでいた。
最も困ったのは酔漢である。相手変わって主変わらず、2度も朝から酔漢に付きまとわれ(10〜15分一緒に歩く)、インスタント写真やたばこを差し上げて退散願った。なまじカタコトを通じさせた副作用のようだ。

< 治安>
ガイド・ブックや外務省、アメリカ国務省の旅行者安全情報には「治安が良くないから、人ごみでは所持品に気をつけて、夜間の一人歩きは避けろ」とあったが、この種類の不安全には会わなかった。
また、「なにかと言いがかりをつけて、金銭を要求する悪徳役人が多い」とあったが、運転手がポリスに止められ、小銭を渡しているような感じをキルギスでは2-3度見かけた。カザフスタンではほとんど見なかったので、幸いと思っていたら、出国手続きで実害が1件、未然に防止したのが2件あった。
Custom Declarationに記入したUS$金額より、実際に20$札が1枚多かったのが見つかりで罰金として10$没収された。蜂蜜の瓶がチエックインのX線で見つかり「持ち出し禁止品だ。400$払え」と言うので「そんな禁止品は聞いたことがない」というと「次の手荷物検査でもう一度調べるから通れ」とのこと。
しばらくして、手荷物検査のところへその男が来て、「蜂蜜は持ち帰ったら汚染するから入国できないハズだ」と馬鹿なことを言うので「それは生の野菜果物や肉のこと。我々は持っていない」と突っぱねると「あそこの人たちも仲間か?あのボックスにはウオッカが10本以上入っているだろう。持ち出しは一本に限られる」と言うので「どこにそんな規則があるか。見せろ」と言うと「ロシア語しかない」と言うので「構わない。読めるから出して見ろ」と突っぱねる。相手はやけくそになって「手荷物をすべて検査する。航空機に不安全なものを持っていたら罰金だ」と言うので、「Declaration Cardに書かれている全ての禁制品、可燃物、武器、火薬、麻薬等何も持っていないと申告してCustomもClearした。

何でも調べろ」と開き直るとコソコソと引き上げた。勿論、手荷物検査でも何も、とがめられなかった。もう一人は「入国時と出国時の1000US$近くも所持金が減少しているのはなぜか、証明書を出せ」と因縁をつけられたが、旅行社の領収書を示してO.K.となる。
要するに彼等の言いなりにならないようにすることだ。アゼルバイジャンの帰途のモスクワ空港と異なり、パスポートが我々の手元にあったのが幸いしたのは事実だ。


<中国国境>
SARSのために中国国境は閉鎖とのことだったが、物資の輸入は継続している様子だ。
国境から4kmまでの検問所まで行けたが、それから先は中国へ入国する以外には通行が許されない。国境を背にした写真撮影は禁止されているので、通関地区への順番待ちの大型トラックの行列横を通りながらシャッターを切った(添付写真)

  9.ビザ関係・出入国 荒井龍男(8期)
1.カザフスタンのビザ
 観光ビザが必要だが、「地球の歩き方」などに記されているように、招待状(インヴィテーション・レター、実際はそのコピー)を添付した申請書を、東京のカザフスタン大使館に申請して、難なく1週間後に許可された。招待状は、豊田通商さんが現地の旅行会社の仲介をしていただき、発行してもらった (招待状の発行は正式依頼後1ヶ月要した)。
 このための資料として、日程(入出国日)、パスポート記載内容とそのコピー、現住所と電話番号が必要だった。
招待状の発行費用として、旅行会社に25$/人支払った。
 2.カザフスタンの外国人登録(レギストラーツィア)
 入国3日以内に各地のオヴィール(移民局)に登録しなければならない。この費用として、旅行会社に15$/人支払った。
 3.未開放地域通行許可証
中国国境付近の歩行に必要との事で、旅行社で取得してもらった。歩行途中、数箇所の検問所でその提示を求められた。

 4.キルギスタン
ビザは不要である。
 
  10.費  用 綾部 廸夫(7期)
   10.1 一人当たり費用
  個人概算費用  ドル換算   内容
宿泊・食事など$645 宿泊・食事・水・酒
共同分担費 $365  
現地活動費 計 $1010  
航空運賃 \150000 成田→ソウル→アルマティ往復 
   10.2 共同分担費まとめ
  項目金額    内容
Guide Services$390 13days*$30
Celluler phone rental $300 10days*$30
Visa support $200  
Pasport registration$105  
Permission to the borderzone $240  
Vehicle rent+meal of the Driver $845 13days 
Gasoline $220  
Transfer Hotel-Airport $60  
 Subtotal$2360  
Asia Discovery Charge$189 8%
 Total$2549$364*7人
   10.3 宿泊費詳細
  場所・ホテル・泊数  宿泊費    内容/食事・人数   クラス
5/16 Kazakhstan hotel/Almaty$179 twin×3室+single×1室   ****
5/17 Resthouse/Korday$36 $5×9人分    *
5/18 Motel Zhuldyz/Zhuldyz $225 $25×9人分    **
5/19 Motel Zhuldyz/Zhuldyz$225 $25×9人分   **
5/20-22 Kazakhstan hotel$179 twin×3室+single×1室    ****
5/23-24 Guesthouse/Cholpon Ata$225 $25×9人分   ***
5/25 Atlantic hotel/ジャルケント$225 $25×9人分   **
5/26-27 Kazakhstan hotel$179 twin×3室+single×1室   ****
5/28 Kyrgyzokoe vzmorie resort$270 $30×9人分    ***
5/29 Kazakhstan hotel$179 twin×3室+single×1室    ****
   小計$2684     
Asia Discovery Charge$215   
   合計$2899$414*7人   
  11.記録写真・ビデオ・感想など
感想;小林 秀行
楽しいカザフスタン東部歩行に参加させていただき有難うございました。
25km〜30kmの歩行は初めてでしたので、少し不安があり事前に自宅付近を何度か3時間程の 歩行をして試してみましたが、結局山で6〜7時間歩ければ 平地でも歩けるか〜、といった軽い気持ちで参加したのです。
私にとっての参加は大平原の景色と何処までも 続く地平線が眺められると思っていたのと、 我々とは全く異った生活様式の地を想像して、 地図では広大な面積を持った映像では見たことの無い カザフスタンへの期待でした。

しかしまず驚いたことは生活水準の高さでした。
TVでのモンゴルの大草原や中国西部の半砂漠地帯の 生活を想像し、私の行った事のある中国南西部の民族地帯 やヴェトナム南部の生活からははるかにかけ離れた 所得格差が20倍以上もある豊かな生活だったからです。
また一部南北の山脈の挟まれ、緩やかだが起伏の多い 東部カザフスタンは、何処までも続く平坦地で地球の丸みの 分かる地平線があまり見られなかったことです。
期待は外れましたが、沢山の自動車と荷馬車とが 入り混じった田舎風景を見ながら、先進国への仲間入りを 目指しているカザフスタンが、広大な国土と石油資源の活用で 本当に近い将来仲間入りが出来るのではないかと感じ、 それを半月に亘って生活し見てきたことは 世界の大きさを感じた貴重な体験でした。
また同行の6人のワンゲルOBの方々には大変お世話になり あらためてお礼申し上げます。
 12.結 び
 

作成中

 

 13.サイン・メッセ−ジ・写真
  13の内容が入ります。