第1区間;ロンドン→ドーバー

<概要>  藤田 一郎(1期)
1996年9月末、和田(3期)、早川(5期)、綾部(7期)、藤田(1期)の気の合う4人が、
ユーラシアの旅第1陣として、ロンドンからドーバー迄歩きました。
5日間で20、25、32、27、18キロにわけ、見事全員完歩、以下その報告です。


東京へ向けてのスタート点、
旧グリニッチ天文台下、経度0度
小雨の中、
左から和田・早川・綾部
<写真;ロンドンp1>
ケント州 ノース・タウンズ・ウエイを歩く。
森や草原、畑、牧場のなかを縫って進む。
足のまめの痛さも、夜のビールを思えばがんばれる。
<写真;ロンドンp2>

<1期 藤田 一郎>
 綾部さんが苦労して確保してくれたアエロフロート便は当日の21時ヒースロー着、
先発の早川夫人に迎えられてシエラトンホテルヘ。翌朝、全員顔色、食欲もよく安心する。
早川夫人手配のレンタカーで出発地グリニッジヘ。意外に手間取り11時着。
旧天文台で緯度ゼロをデザインしたキャップを買って記念撮影。2万キロ第1歩は
ここから始まるの感で身がひきしまりました。

 さて第1日は時差ポケなどと言ってはおられず、されど体調も考えて20キロ程度は歩きたいところ、 12時には出発したいので内心あせる。折角なのでテムズ河畔の高速お茶運擬船カティサーク(短い下着)号 と世界初世界1周ヨット(ジプシーモス号)を早川夫人がてきばきと作ってくれたサンドイッチをかじりながら見ました。
 和田さんは手回しのオルガンのおじさんから離れたくなかったようでしたが、出発。曇時折小雨のもと、 森と住宅がかわるがわる出てくるA20道路をまっすぐ、大都市環状線と交わるダートフォードで大ロンドン圏 を抜け出すべく黙々と歩きました。この間早川夫人はどこからともなく現れて激励の役。途中5人でパブに とぴこみましたが、若者向きのモダン・パブで場違いの感じ、交流にはいたらずでした。
 5時間歩いて夕暮れとなり、3人の万歩計を見ると約15%の差、人情として一番歩数の多い早川さんのものを採用、 20キロを完歩、B&B探しにかかりました。しかし、ダートフォード周辺には5人がまとまって泊まれるものがなく、 早川夫人が深してくれてあったホテルに入りました。

 第2日も曇、気温は昨日より少し上の13度前後、歩きやすい。今日はロチェスター迄と元気に歩きだすが、 道を間違えて戻り、A20へ。道の左側の地形が大きな凹地となり地図にチョークビットとある。 地肌がチョークのように真っ白で、破片で道路に書いてみると、まるで黒板の上のような具合。 この辺からドーバーのホワイトクリフ(白い崖)迄地表下20センチはチョーク層なんですね。
そこで、地表をめくって、丘の斜面に縦百メートル程の大きな白い十字架や、リンドン大学の紋章のクラウンなど が措いてあるのにその後出会いましたが、緑の中に白く浮き出てとてもきれいでした。
 A20はその後A2へ交通量の多いこれも幹線級の道路に合流しますが、これはロンドンとヨーロッパを結ぶ 片側3車線の高速道路、この側道をトラックにあおられながら歩く。周辺は森や畑で時々脇道が現れて救われます。
 今考えてみるともっと気分のよい道が他にあったのでしょうが、なにせ先の見通しがつく迄はという気があったので 最短距離を歩いたのでしょう。昼食はA2沿いのある村のパブに入りましたが、ここはトラディショナルで、 客も村の衆、雰囲気上々でした。わっせわっせと歩いていくと、ドーバー迄60キロとの表示、やったぜもうこっちのものだ とA2に別れ、ロチェスターの街へと車の少ない並木道を心安らかに下ってゆきました。
道は旧市荷に入っていきますが、人をほっとさせる雰囲気です。
 ここから後は地図にあるNORTH・DOWN・WAY(ノースダウン丘陵のトレール・道幅0.5〜1m)で 森、牧草地・牧場・丘陵・村落を辿ることに衆議一決、足りない地図の買える隣町の本屋を案内所のかわいいお姉さんに 教えてもらった挙げ句、「欲しい地図があるか聞いてみてくれませんか?」などとかなりの時間会話を楽しんでおりました。
 そんなこんなで大体止した後、紹介されたB&B的小さな宿へ足を引きずりながら小1時間長い坂道を丘の上の街へ登ってゆくと、 先回りした早川夫人が現れ、「もうふさがっていて泊まれません」。結局元へ戻り大聖堂脇の19世紀建造、 ライトアップされたお寺が美しく見える小さなホテルに落ちつきました。電話で早く申し込まなかったのが失敗のもとでしたが、 明日の分まで稼いだと思えば気が楽になりました。その夜もパブに出かけました。

 第3日は快晴、今日からケント州のカントリーサイドを満喫できるぞとの想い。早川さんは日本を出る前に「俺は3日以上もつかなあ」と言っていたので、「今日は奥さんと地図を買いにいって、そのあと合流したら?」と聞くと、「いやあこうなったら全部歩きたいですよ。地図はワイフ一人で買えますよ」との返事。今日前半は手持ちの地図で大丈夫なのでいさんで出発。天気がよいのは人の心も晴れやかにする。ブルーべリーヒルを過ぎた所で、黒くて甘い桑の実の形をしたものをむさぼっていたら、通りがかりのおばさんが「それはブラックベリーよ」と教えてくれた。
丘陵への取り付きでちょいと回り道をしてしまうが以後は順調。雑木のトンネルを快調
に歩く。今日は携帯電話を我々が持ち、早川夫人が電話をかけてくることにしたが、公衆電話が少なく連絡がままならない。が、うまくオートキャンプ場で落ち合い、木かげの楽しい昼食、そして地図も手に入りました。このあたりのノースダウンウェイは道標も少なく、途中で車道へつながったりするので判りにくい所があるが全員の嗅覚で乗り切った。
 ところでイギリスの農地・牧場・牧草地の縁にBY WAYと書いた道標状のものが立っているのですが、「私有地通過OK」のサインです。牧場は柵で囲ってあるので、ノースダウンウェイもBY WAY時に丘陵地をぬっていて、村を出ると雑木林、ついで畑、こんどは牧場と変化に富んでいます。第3日の終わり頃からはPILGRIM WAY(カンタベリー巡礼路、3〜4m幅の道)も使いましたがいずれにしても曲折多く、ドーバーになかなか近づけない感があり、快晴に恵まれたこともあって32キロも歩いてしまった。
その晩と次の晩はホリデーインに連泊。パブの客が1番うまいビ−ルとその飲み方を教えてくれた。
 
第4日は曇空で涼しく、先が見えたし体調も良しで、村から村へ緑の中を歩いた1日でした。その日は早川さんが前に奥さんと泊った由緒ある館(ホテル)が終点。早川さんはとても懐かしそうでした。
 
第5日も曇、今日は午後2時までにドーバーに着き、ドーバー城を見た後カンタベリー大聖堂を訪ね、ロンドンまで戻るので、やや早めに出発。前夜と今朝の早川夫人心尽くしの日本食で元気百倍。今度は綾部さんに「次のコースの下見にカレーヘ行ってきたら?」と皆で言うと「私だって最後まで歩きたいですよ」と仲間外れにしないでくれという顔⊃きでした。今日も木の実を道連れに、右下にドーバー海峡を見て牧草地を横切り、最後は谷間の下り道を歩いてドーバーに着き、スクールバスの運転手から「すごい、おめでとう」とお祝いの握手をもらいました。サポートの早川夫人に感謝!!。

 かくして4人は5日間で122キロを元気に歩き適しましたが、各人それぞれ事前のトレーニングをしており、なかでも早川さんは奥さんといっしょに夜のウォーキングに励ん> だそうです。和田さんは自転車、綾部さんは月1度の山、藤田は勤め帰りのウォーキング今は寒いので昼休みに切り替えています。あと藤田は東海道ウォーク180キロにも参加1日35キロは大丈夫との自信を深めました。
 この文を読まれる大半の方は経済的に不安がないでしょうが、ボーナスをもらえぬ身にだんだん近づいています。で、費用面について述べると、今回一人当たりの費用は約15万円でした。うち航空券が7万7千円です。
 和田さんはもうトルコの歴史や情勢を調べているそうです。森さんはこの夏に備えてマジャール語(ハンガリー)の勉強を始めました。我々の旅はただ歩くだけでなく、事前の活動もおおいに楽しめ、それをベースに現地での交流も更に思い出に残るものとなるでしょう。バスの車悪から流れる風景を眺める旅よりも、地を這う旅は全くその内容からして1番贅沢な旅です。