第11区間;ドイツバイエルン、アウグスブルグ゙→ムースブルグ

メンバー;加藤 博一(4期)、中村 文広(5期)    記録;中村 文広

5月の連休を利用して、一年遅れとなったが、念願のドイツを歩くことができた。藤田さんの再三の励ましと、同行してくれた加藤さんと家内の協力のお陰と感謝している。歩いたのはアウグスブルグからムースブルグ迄、約100Km。ミュンヘンの北側の平坦な田園地帯を東へ向かって5日間で歩くことにした。歩くことに関しては万事うまく運んだ。唯一残念だったのは、ミュンヘンで落ち合う宿が、大きな展示会ため取れず、横山さんとの合流が果たせなかったこと。しかし、お陰で地方の宿に泊まることになり、思わぬ経験がたくさんでき、旅の厚みを増してくれた。
ドイツ人の美徳は規律、清潔、時間の正確さと言われているがその通りだった。威厳と愛情を持って引率する女性教師と、公共の場を心得ながら笑顔の明るい小学生の一団に日本が失ったものを見た。二人で3,500円の安宿でも部屋は清潔でシーツは真っ白だった。定刻になると列車は静かにホームを離れた。ワンデルングに理解の有る土地柄からか、道を聞いも、親身になって教えてくれた。訪れた5月はちょうど桜、梅、雪柳からタンポポやつくしまであらゆる花が咲き乱れる最高の季節だった。川田さんお推めのアスパラガスは美味しくて三晩続けて食べた。
今回は何よりも、ワールドマーチのお陰か、まめ一つ出来ず、改めて歩く楽しさを知った。ドイツ南部の伸びやかな田園地帯とそこに住む人達との心のふれあいは楽しかった。これが「ワンダーフォゲル」ではなかったのかと思った。私にとっては、人生の新しい喜びを改めて見つけたような忘れられない旅となった。

行動記録

4月30日 成田発、フランクフルト経由空路ミュンヘンに入る

5月1日(行動第一日)晴、アウグスブルグーダジング
ミュンヘン駅から鈍行で40分、終点のアウスブルグに着く。古都アウスブルグでゆっくりしたいので逆コースを取ることにする。駅員にサインを頼み、ハムのサンドウィッチ、炭酸抜きの水、バナナを買う。これが以後の昼の定食となった。一両のジーゼルカーでダジングへ。 暑いので半袖シャツに着替えてから10時過ぎ第一歩を踏み出し、街外れの間道に入る。畑の中の道はやがて杉の林に入る。中間地点のフライドベルグまでは大体こんな道で目印になるようなものもなく、ワンデルングやサイクリングの家族連れに何度も道を聞いた。
フライドベルグはロマンチック街道の大きな街だが、通り過ぎてかなり南まで行ってしまった。われわれの歩く速度が五万分の一上での感覚よりかなり速いようだ。街に戻って、噴水のある広場で遅い昼食を食べる。ここからアウスブルグまでは車の行き交うロマンチック街道を西へ歩く。もう迷う心配はない。しかし、単調でかえって地図上の歩みは遅くなる。いいかげんくたびれた頃、やっと旧市街の外れにある公園に着く。ダジングからここまで約15Km、24,500歩。昼飯の時間を入れて約4時間。この後市内の名所を見て歩き、5時過ぎアウスブルグ駅着。ミュンヘンの宿に戻る。初日のせいか思いのほか疲れた。

5月2日(行動第2日) 晴 エステレルホーフェンーフライジング
天気の良い内に最長区間を歩くことにした。ミュンヘンから北にS2でエステルホーフェンに向かう。この辺は大地が大きくゆったりとうねる農業地帯で、麦畑と菜の花畑が一区画3〜5百mの区切りで続く。昨日に比べ耕作規模も大きい。土は粘土質でやせているようだ。畑には人影はないが、草一本なく、良く手入れされている。2〜4Kmおきに小さな集落があり、その間を殆ど車の通らない2車線の舗装道路が結ぶ。村の出入口にはキリストとマリアの像と村の名前を示す看板がある。次の集落の名前と距離が分かり助かる。
2戸ほどの小さな集落にも必ず教会と高い幟がある。加藤さんは教会を丹念に写真に収めていく。どの農家も庭の手入れが良く、草花が咲き乱れる。頂けないのは牛舎と鶏舎の臭いとよく吠える犬。それに山と積まれた古タイヤ。一日こんな集落を巡り歩いたが、それぞれに個性もあり飽きなかった。私は昨晩食べた梅干しですっかり元気を取り戻した。加藤さんは硬い道に豆を作って痛そうだった。フライジングへあと5Kmの所から側道のない国道を歩いたが、今回のコースでここが一番きつかった。31Km、実動6時間半、38,000歩でフライジング到着。さっそく宿を捜したが、どこも満室だった。ミュンヘンで他の近郷地も探したが駄目だった。オーストリアにいる横山さんと電話で相談し、今回の合流を断念することにする。

5月3日 晴 ダジングーアルトミュンスター
午前中、前から行ってみたかったネルトリンゲンに寄ることにしてたので、アウスブルグを経由してダジングに着いたのは12時半になった。昼食は車内で済ませていた。ダジングには今日は女の駅員がいてサインを頼む。暑かったが、歩きにも余裕が生まれ、昨日と同じような部落を次々と通過する。アルトミュンスターでは初めて飛び込みで宿探し。3軒目でようやく泊めてもらえることとなり、その夜は宿の酒場で地元の人とビールや果実酒をたくさん飲んで交流した。今日の行程は18Km、26,500歩。

5月4日 曇 アルトミュンスターーエルステホーフェン
アルトミュンスターの宿は教会前の広場にあり、ここから四方に道が通じている。宿の前にある、「マルクト インデルシュタットへ12Km」の看板に従って歩き出し、直ぐに間違えに気付く。自動車のための看板で、歩くには遠回りだ。今回2回目のミスで30分損をした。景色は昨日と変わらない。その後は例によって大きな街を通り抜ける道が分からず、マルクトインデルシュタットでてこずったが、何人かのお世話になって無事通過し、12時には見覚えのあるエルステホーフェンに着く。今日は15Kmで21,200歩。午後は今日から明日にかけ休暇を過すドイツ最南部のオーバーバイエルンへ向かう。

5月6日 小雨 フライジングームースブルグ
昨晩はムルナウで宿を取った。どうせ宿がないならと、刈谷さんの本で読んだムルナウを訪れてみた。一時間かけてミュンヘンに戻り、何回か行った駅の旅行案内所で、今夜の宿を確保することにする。長い行列を待って番が来たが、空室はやはりない。どこでも良いとからと探してもらっている間に、幸運にもペンションが一室空くという報が入り、飛びついた。正に粘りがち。駅から宿に直行しチェックインを済ます。
そんな訳でフライシングの駅に降り立ったのは11時半。しかも昨日来の雨模様。しかし、最終日ということと宿の確保もでき、荷物も置いて来たので、身も心も軽い。フライジングは大きな古い街で街を出るまで道が分かり難く、てこずった。一時間弱かけてようやく郊外の高級住宅街にたどり着き、初めて「ムースベルグ18Km」の看板を見つけた。そこからは田舎道を選らんで歩く。雨も小降りで、傘は必要だが、歩くのに支障はない。ニーデルハンマーという所で看板を見を見つけた。「フライシング 14Km、ムースブルグ7.5Km」とある。どうやら我々は地元のワンデルング道を歩いていたことになる。以後はこの看板を探して歩く。道はイザール河に沿って、歩行に適するようにダート。ズボンにははねが上がる。これまでとの違いは全くの平坦地。耕作地の規模も一段と大きくなり、エンドウ豆の畑や菜の花畑が視界の限り続く。
この辺りから道は緑の木々で覆われ、やがて街中へと進む。迷うことなく終着地のムースベルグ駅が視界に入って来る。何となくあっけなく、もう少し歩きたいという気分のままで駅に着いてしまった。あいにく駅は全面改装工事中で、駅員も見当たらない。記念撮影し、キオスクのおばさんにサインを頼んだ。駅前に安いホテルが一軒有るが、5時半になっても開かず、現地での祝杯はあきらめた。キオスクでビールを買って、ミュンヘンに向かう車中で乾杯する。菜の花畑や麦畑が窓の外を流れていった。

あとがき
私のワンゲルの原点は「人里離れた、地図の空白地帯を訪ねてみたい」というものだった。そこでワンゲルの現役時代も「山派」を自任していた。しかし、今回のドイツでの「ワンデルング」は私のワンゲル観ばかりでなく、少し大袈裟に言えば、私の人生観にも大きな影響を与えたと思っている。
今回ドイツを歩いてみて、「自然を求める」以上に「人を求める」旅の素晴らしさを改めて知った。少し理屈っぽくなるが、都会ではとかく無機質な人間が、自然の多い環境では本来の人間に戻れる。従って自然に近い環境が舞台としては必要だとしても、それはあくまで「自然そのものを求める」旅ではなく、「(裸の)人を求める」旅でもあるはずである。それが単なる山岳部や探検部とは違う「ワンケダーフォゲルの本質」ではないかと38年振りに思った。体育会としてのスポーツ性は、(まめなど作らない)「プロの歩き」の追求などに求めてもよいのではないかと思う。
今回のユーラシアを歩く会の目的が「ロンドンー東京間の完全踏破」というのであれば別だが、私の論理に従えばあえて「人も住まない所」を歩く必要もないと思えてくる。それより、そこに住む人達のふれあいに重点を置きたい。これからもぜひ時間の許す限り参加したいが、いよいよアジアに入る前に一会員としての気持ちを伝えておきたい。