第18区間;ハンガリー モションマギャロバ→タタバンヤ

                             1997.10.19 森 正昭
8月14日(木) モションマギャローバ
ブタペスト 漁夫の砦にて
左となりは「暑いのは嫌い」と帰った女
右はドイツからのオートバイカップル

 ブタペストよりインタシティと鈍行を乗り継ぎ、モションマギャローバ着。同じコンパートメントになったおばさん達に手を振って別れを告げ、一団の人に続き駅を出た。その人達が停車していたバスにさっと乗りそれが出ていくと、一人ぽつんと残された。がらーんとした駅前広場はインフォメーションもなく、駅の切符売り場は英語も通じず途方に暮れる。ようやくハンガリー語のサローダバが通じホテルを紹介して貰い、タクシーを頼もうとしたがその電話のかけ方が分からない。人もいないし、とんでもないところに来てしまったなという思いがよぎる。やっと高校生くらいの少年が通りかかり、20フォリントを恵んでもらい何とかタクシーに乗ることが出来ホテル着。
 ホテルでショプロン/ジュール・カウンティの地図が入手でき、明日からのスタートが切れそう。近くのレストランで、地元の人たちに混じりビール・ぼらみたいな白身魚の唐揚げ、グラシュスープの夕食、しめて約1000円。

8月15日(金) モション→ジュールラダマ
 モションは人口1万人の町で、30分ほどで郊外に出る。幹線道路 E60 を避け2車線の舗装道路を歩くが、車が結構走っており100キロ近いスピードですっ飛んでいく。追い越した車から突然骸骨のお面が顔を出す。危ないから注意しろということか? 自転車も時々すれ違い、手を挙げて声援を送ってくれるのは嬉しい。
 車がとぎれると急に静かになり、一面のとうもろこし畑そして、そのはるかかなたの麦畑で動くコンバインの音がかすかに聞こえる。その向こうは木立が線状に連なり更にその先に隣の村の教会の尖塔が見える。太陽はじりじり照りつけ40度くらいだろうか、傘を差して日除けにする。空気が乾燥しているせいか、日陰は涼しく水に浸した手ぬぐいはひんやりと疲れをいやしてくれる。あと30分くらいで冷たいビールが飲めるだろう。
 ジュールの5キロ手前のジュールラドマーのガストホフ着。2組の自転車の連中と一緒になる。夜に一方のドイツ人達のカップルと話し込む。彼らは高校の先生で、2週間かけて東欧を回るとのことだった。ドイツの学校制度をレクチャして貰い、中学では落第もあるというのに驚く。彼の教科は英語と物理で、彼女は英語と歴史で2教科を持っているという。地図について聞くと、ドイツで売られているサイクリング用の 1/10万の地図を見せてくれ、私が歩くコースの数ページをびりびり破いてくれる。この日の道のり、42千歩・32キロ。
 
8月16日(土) ジュールラダマ→ジュール→ボナ→バボルナ
ドイツからきたカップル
 朝飯を食べ、宿代を払おうとするがそのおばさんは入らないと手を振る。意味が分からず親父を呼んできて乏しいハンガリー語とドイツ語でやりとりしているうちに、昨日の夕食と一緒に払ったことが分かった。1泊2食付きでなんと2300円!!
 ジュールはローマ時代から栄えた町で、ハンガリーでも有数の工業都市である。10:00に町の入口の橋を渡ると、市場が開かれていて暑い中なのに人でごった返していた。街で地図を探したり、開いている銀行を探すが見つからずあきらめ、中心部を抜け郊外にでる。途中スーパーで買ったパンと牛乳・オレンジなどで昼食とする。
1時間ほど歩いたところで、サマーハウスの畑に水を撒いている親父を見つけ声をかける。顔を洗わせて貰いついでにペットボトルにも水を満たす。これが冷たく、ほてった体がすーつとする。その後とうもろこし畑に沿って延々と30分歩くと、今度は麦畑となる。ドイツ人に貰った地図にも大した目標が無く、たまに車が通過するだけで、道路脇の木立の日陰をたどりながらひたすら歩く。道路には動物の煎餅になったのが見受けられ、多い順に野ネズミ・かえる・ハリネズミ・鳥・たぬき で、自分がそうならないように注意が肝要。
 狐マークのある木立のところで休憩したら、薮蚊がすごい勢いで襲ってきて、手で払っても逃げない。下半身がちくちくやられ、たたきつぶすがきりがなくとうとう逃げ出す。ハンガリー語教室のエルジェベート先生の言ったとおりだった。
 5時頃ボーニーレタラップ着、居酒屋にたむろしていた人に宿を聞くと、隣村にあるという。仕方なくビールを飲みその勢いで4キロを歩くが、午後から出来たまめが傷みだした。やっとボナに到着、民宿を3軒聞いて歩くが、いずれも都合悪くダメとのこと。4キロ先のバドホルナならあるだろうというが、腹は減るし気力も無くなり、がっくり。幸い中学生の女の子と英語が通じ、車で送ってくれることになった。せっかくなので到着のサインを貰い日本からのみやげを出すと、大きな桃と家族の写真をくれた。この日の行動時間;9.5h,48千歩、32キロ

8月8日(月)バドホルナ→ボナ→アクス→コマロム
オランダから自転車できた男と昼食
コンピュータ技師だって
   民宿は広い庭の離れで、シャワーや台所も付き清潔であった。夜と朝の食事付きで2500円ほど。そこの親父さんにボナまで車で送って貰い、昨日の到着点からスタート、相変わらずの快晴だが空気がひんやりと気持ちよい。人にも車にも合わずに1時間ほど快調に歩く。5キロ/6500歩、万歩計の精度はどのくらいか?
 アクスの入口で、自転車に乗った爺さんに「ヨー!ナッポット」と声をかける。すると爺さんがが引き返してきて、以下彼との会話。「この暑い中どこまで行くのか?」「今日はコマロムまでさ」「コマロムまでは10キロもある、駅まで送ってやるからこの自転車の後ろに乗れ」「歩いていくことにしているんだよ」「なぜ歩いて行くんだ?」・・・・・
 それ以上は言葉が続かず、ハンガリー語教室の岩崎先生に添削して貰った、通過証明の紙を彼に見せる。しばらくそれを見ていた彼が、えらく感動した様子で顔を上げ家によって冷たいビールを飲んでいけという。まだ先もあるのが気になるが、これも旅だろうと思いついていく。爺さんがぞろぞろ歩いてくる教会帰りの知り合いに 「この日本人はモションからタタバンヤまで歩いているんだよ」というもんで、みんなが手を振ってくれる。
 爺さんは大工のマイスターで74才、第1次世界大戦に従軍したという。仕事場のテーブルにナプキンを広げグラスを置き、更に孫を呼んで冷えたビールを持ってこさせる。私も辞書を引きながら何とか単語を並べ謝意を表する。言葉は正確には分からないが、彼の歓迎の気持ちは十分理解できた。通過証明にサインをして貰い、私も日本から持ってきた富士山の絵はがきにサインし渡す。
JADKAS JANOS さんとその孫
「遠い所を良くきたな、がんばれよ」
とのメッセージをくれた
   爺さん秘蔵のワインまでご馳走になり、ふらつきながらアクスをぬけ、出会ったばあさんに道を聞く。線路沿いの道は歩きにくく、幹線道路をいけという。車のすくない道を行きたいのだが、彼女が見ているので仕方なくその通りに進む。道ばたで30分ほど昼寝。
 コマロムでホテルを確保しほっとする。ホテルで若い娘に通過証明を貰い写真を一緒にとったが、小柄と思っていたら私より背が高くびっくり。歩いて旅をしている人なんて初めてだから写真を送れと頼まれる。
 ドナウの川岸に出てみるとでかい船が係留されており、対岸はスロバキア領である。遠くの橋の中程にゲートが見える。
 日課の洗濯を終え夕食。川マスのフライと山ほどのじゃがいも・サクランボの冷たいスープ・ビールで約700円。行動時間7.5h、30千歩/23キロ。

8月18日(月) コマロム→タタ→タタバンヤ
 幹線道路を離れ、タタを目指す。町外れで大きな桃を3個/約100円、いちいち重さを計るのがなつかしい。久しぶりの曇り空で風が涼しくほっとする。車が少ないので、道ばたの花じっくりを見ながら歩く。あざみ、えんどう、松虫草もどき、キリン草もどき・・・・・ と花は多い。
 15キロを4時間ほどで歩きタタに到着。自慢の足もまめと疲れで、棒になりかかり、みっともない歩き方になっている。フォリントの手持ちが無く銀行も見つからず困っていると、郵便局でチェンジしてくれることが分かった。頼むと1万円札を台帳の写真と照合、初めてのようなので、すかしがチェックポイントだと教える。
 タタは古い遺跡も残っており、散策したいところだが足がいうことを聞かず、ひたすら先を目指す。幹線道路脇を汗まみれで、傘を差しはちまきをして歩く。最後はホテルのバスルームでゆっくり汗を流し、ビールを飲みたいなと、それを支えにやっとタタバンヤ駅前のホテル着。

8月19日(火)タタバンヤ→ブダペスト
 インターシティでブダペストに戻り、市内でルーマニアの地図を探し歩く。地図の専門店も含め3軒ほど回るが、1/25万が一番詳しかった。
 日本大使館の秋山さんの自宅にお願いしていた荷物を引き取り、インタコンチネンタルホテルにくつろぐ。ホテルの部屋からはドナウの流れと対岸の王宮、鎖橋が眺められまさに絶景、しかも大使館値段でかなり安い。秋山さんに感謝!!
(秋山さんはハンガリー語教室で一緒、今年の春にブダペストに赴任、副領事です)


感想
 ハンガリーの広さと人の温かさに触れることが出来た旅でした。しかし、真夏に歩くのはかなりの消耗で、お奨めできません。途中歩いて旅をする人は全くいませんでした。一人旅でも全く心配入りませんが、交通事故は心配です。それとブダペストの地下鉄のスリは要注意です。女房と観光していたときに狙われました。
 地図は事前に詳しいものを入手するべきでしょう。今回は知り合いのハンガリー人とコンタクトして現地で貰うこととしていましたが、行き違いで会えず困りました。また、宿の情報もあるといいでしょう。 
 それと富士山の絵はがきをかなり持っていき出会った人にサインし渡しましたが、相手にも直ぐ日本というのが伝わり喜んでくれました。民宿はクレジットカードが使えず、手持ちの現金が底をつき、キャッシングの暗証番号も忘れたためすってんてんで成田に到着、これがまた厳しかった。