第25区 ル−マニア南西部(セベリン−カラファト) 歩行記およびル−マニア観光、登山記 98.12.05 7期 安藤 潔
7月29日(水) 5:20起床。6:20朝食もとらずに歩きはじめる。 朝食のパンは食べられないし、日中は暑くなりそうなのでできれば昼寝でも、との思わくである。 セベリンの町中を一時間歩き、さらに人家のとぎれた国道E70を一時間歩く。車の往来は結構ある。 8:30 国道56a号にはいる。とたんに車の量が減る。この道は二つの地方都市を結ぶロ−カルな道なので当然とおもいきや、たまに大型のトレ−ラ−が通る。どうも、ハンガリ−からブルガリアに荷物を輸送する車らしい。私の歩行の終着地カラファト(Calafat)は、ブルガリアとの国境の町である。 午前中は右にドナウ川、左にトウモロコシ、ヒマワリ畑のみちを行く。1カ所鉄条網で囲まれた畑があり、10〜20代の女性20〜30人が農作業をしており、そばに銃を持った男性が2人いる。??? 娘に虫がつかないように銃を持って監視???歩いているうちに気がついた、ドナウ川の向こう岸、私が歩いている道の200mむこうはユ−ゴ−スラビアなのだ!!!紛争中のユ−ゴ−から川を渡ってきた人を収容する施設なのだるう。しかし、ほかには国境を歩いているという緊迫感はなにも感じられなかった。 途中、トマトを満載しパンク修理中の車からトマトを買う。100円ほどで山ほどくれた。トマトは重いので腹に入れてから運ぶ。 10:00 レストランでドナウ産の焼き魚だけの朝食。500円 12:00 ドナウ川から離れ登りが始まる。峠の手前に冷たい水のわき出る水場がある。 13:15 峠につく。峠といっても山はなく、木のはえた丘の頂上という感じ。 16:30 今日の歩きの目標地Vinju Mare に着いたので歩行をやめることにする。 小さなホテルがあると昨夜のホテルで聞いてきたが。。。村人はホテルなど泊まれるところは一軒もないという。一瞬とまどったがベルギ−でも何度もこんな事態に陥った。セベリンまで車で引き返せばよい。村人の話では(たまに英語の通じる人がいる)四人集まると乗合タクシ−が一人200円ほどでセベリンまで行ってくれるとのこと。村の中心でビ−ルを飲みながら待つこと30分、四人集まり出発。ああ、なんと、10時間かけて歩いた道を30分で戻るとは****。運転手と乗客の一人は知り合いらしく、30分の車中2人合わせて45分しゃべっていた。ル−マニア人は陽気である。 もう一つ気付いたこと。歩行中出会う車のほとんどは4人、3人の人が乗っており「休日でもないのに友人や家族そろってどこへ行くのだろう」と思っていたが、 乗合タクシ−やヒッチハイクの人を乗せた車だったのだ。 18:00 セベリン着。昨日とは違うホテルに泊まる。4千円、食事代1500円まずい。 ******歩行距離 35km、歩行時間 10時間(食事1時間含)*********
11:30 道端にウリのようなものを売っている子供が居る。 通りすぎると、追いかけてきて、一片をくれる。あまり水気はないが甘い。 この子供が一人めで、果物、野菜を売る子供、女性が1〜2kmおきに現れる。 昼食は湯で戻したインスタント白米。あまりうまくない。チ−ズで味付けして流し込む。 白米ではなく味付けしてある五目米、山菜米の方がうまい。 16時頃 そろそろホテルを探すことにする。 村人に聞くと、このあたりにホテルはなく、昨日のセベリンか今回の歩きの目的地であるカラファトにしか、ないという。 セベリンまで60km、 カラファトまでは40kmとのことで、カラファトにいくことにする。しかし、セベリンへの乗合タクシ−はあるが、カラファトにいくのはないという。 カラファトのほうが小さいまちなので、カラファトに行く村人はいないという事らしい。 あとはカラファトに行く通りすがりの車をヒッチするしかない。。。。。 一時間後、やっとカラファトに行く車をヒッチすることができる(Camir村)。 しかし、歩きながら車をさがしたので、3kmほど目的地に近づいたので「ま、いいか」。ヒッチ仲間は若い軍人二人だった。 ホテルまで送ってくれたので、300円ほど渡す。 20時 ホテルのドナウ川の見える屋外のレストランで夕食。他に客はいない。白ワイン、ポ−クソテ−、肉だんご、サラダ、ママリガ(トウモロコシ粉に牛乳、バタ−を加え煮たもの)で約900円。今日1日の出来事を思い起こしメモにとりながら、また、夕暮れのドナウの向こう岸のブルガリア(セベリンでは対岸はユ−ゴだった)に思いをはせながら、二時間かけて夕食を楽しむ。 *****歩行時間 10時間、歩行距離 28km******** 7月31日(金) 6:20 起床。昨夜フロントで7時に朝食、7時半に車、とたのんでおいたのに両方ともなし。今日のフロントはなにも聞いていないという。 8:20 しかたなくホテルから歩き始める。街道にでて乗合タクシ−のたまり場らしきところで目的地を地図で示しながら車を探す。 見つかった車は40代男性と女性の乗ったベンツ(写真右の2人)。走り出して5分、ちょと寄り道をするとのことで着いた先はドナウ川にめんしたレストラン。酒、食事をといわれたが、ポテトだけたのむ。時間があればドナウの流れを間近にビ−ルを飲みたい場所だが、運動の最中は酒を飲まない主義だ。 私のはやる心を知ってか知らずか、彼等の朝食の終わったのは1時間後だった。 やっと目的地へとおもいきや、自分の会社に用があるので寄り道するとのこと。 会社に着くと若者2人を呼んでなにか話をしている。そのうち「写真をとれ」「今忙しいので車を降りて少し休んでいてくれ」と何か怪しい雰囲気。 そこで、「もう時間がない。はやくいきたい。」というと、ガソリン代をだせとのこと。 私が2万と言うと5万と言い、結局その場で2万、着いたとき2万とのことで若者の1人が車をだしてくれた。 30kmの車代4万といっても700円だ。
17:15 セベリンとカラファトを結ぶ道路56aが終わり、国道E79に入る。あと15kmで終わりだ。 歩き始めの時間は遅かったし、荷は軽いし、明朝9時にブカレスト行きの列車があると聞いていたので夕方遅くまで歩くことにする。さすがに6時半になると疲れたのでヒッチをはじめるが、車は止まってくれない。7時半になってやっと止まってくれた車は農作業用のトラクタ−、遅くてうるさいがトラクタ−に乗るのは初めての経験だった。残りの歩行距離は約4kmとなった。 20:00 ホテル着。 21:00 夕食。 ****歩行時間 9時間、 歩行距離 36km **** 8月1日(土) 5:50 起床、昨晩の残り物の朝食をとる。 6:10 9時初の列車に乗るべく、残りの歩行区間を終わらせに出発。 乗せてくれる車を探しながら歩くが、見つからず、結局同じ道を往復歩く。 0kmの道路標識があったのでその地点を今回のユ−ラシアワンの終了地点とする。 4日間、100kmの歩きが終わったが、あまりジンとくるものはなかった。列車の時間に気が急かされていたためか、朝早くなので血圧が低いせいか、2回目の歩きだからかもしれない。 8:00 ホテルに帰り、パッキングしておいた荷物を持ち駅に向かう。 8:30 駅。だがしかし、9時発の列車などない。ホテルのフロントの間違いか私の聞き違いか。詮索してもしょうがない。 おかげで11:40 までゆったりした時間がもて、旅の記録を書くことができた。 11:40 カラファト発。ル−マニア国内リ−グのサッカ−選手3人と同じ席となる。 彼等は英語を話せたので会話ははずんだが、最後には月収のことになる。 ル−マニアでは5~10万円とのことで日本に行くにはとか、仕事はすぐ見つかるかということになり、私には答えようがなくなる。 そのうちに同じボックスの乗客が他のボックスに移りはじめ、ついに私1人になってしまった。 ???話に飽きたのか私と同じ席がいやなのか。???***この原因は次回列車に乗ったときにわかった。 ル−マニアではどんなに暑くても走っている列車の座席側の窓は開けないのだ。 暑い人は停車中だけ開けるか、ボックスを出て通路側の窓を開けて涼むのがマナ−らしい。 17:49 ブカレスト着 前回と同じホテルに泊まる。駅前なので便利だ。 *** 歩行時間 2時間、 歩行距離 4km *** ユ−ラシアワン25区を歩き終えたわけだが、歩きおえた心境について当時のメモを見ると 「やっと今回のユ−ラシアワンが終わる。あまり感傷はなし。」としか書かれていない。 当時を振り返ってみると肉体的疲労はあまりなかったが、精神的には相当疲れていたのであろう。 また、あと2週間あるル−マニアの旅をどう過ごすかで、頭がいっぱいだったのかもしれない。 |