第26〜28区間;ヴィンディンからパサルジク
           1998.5.28〜6.10 藤田 一郎(1期)  塩野 昭夫(10期)

月日天気歩行場所距離 km道路安全評価宿泊
5月30日ヴィディン〜ディモボ30E-79ヴィディン
5月31日晴一時雷雨ディモボ〜ベロティンティ30E-79ベロティンティ
6月1日晴のち曇ベロティンティ〜モンタナ34E-79モンタナ
6月2日休養日、ベルコビッアへ移動***E-79ベルコビッア
6月3日モンタナ〜ベルコビッア26E-79ベルコビッア
6月4日ベルコビッア〜ギンツイ33E-79ベルコビッア
6月5日晴一時雷雨ギンツイ〜コスチンブロド36E-79ソフィア
6月6日晴一時雷雨コスチンブロド〜ソフィア〜ベリワ20E-79/80ソフィア
6月7日晴一時雷雨ベリワ〜バカレル(藤田)22E-80/8Rソフィア
  バカレル〜コスティネツ(塩野)338R**
6月8日晴のち雨コスティネツ〜ベロボ(塩野)218Rソフィア
  ベロボ〜パサルジク(藤田)288R**
  歩行距離合計313   




<ビンディンからプロブディフへ 藤田 一郎>
5月30日(土)曇
  ドナウ河畔の町ビディンから、小麦ととうもろこしの街道を歩く。この辺一帯いっせいに鍬でとうもろこし畑の雑草取りだ。全般的にやや登り加減で、だんだんとドナウの水 面が下方に遠くなる。
から身とはいえ、初日からの30キロはつらい。ようやく着いたディモボ駅,もらった桜んぼがうまかった。ブルガリアは今、桜んぼ、いちご、野ばら、アカシア、アマボーラ、かっこうの季節。駅のパルで交流。

5月31日(日)晴れ一時雷雨
 セルビア(ユーゴ)側からのびるゆるい尾根を何本も斜めに横切って登る。街道は車も少なく静か。並木がまばらで強い陽射しがきびしい。昼頃小雷雨。涼しくなりほっとする。今日の終点ベロティンツィが上の方に見えてからの長い登りがつらかった。
バルで飲みながら、村はずれの家畜小屋に泊まってもよいかと聞くと、ワインを教本皆にふるまったことでもあり、居合わせた少年の家に泊めてくれることになった。結局6時から10時半迄バルで交流した。

6月1日(月)時のち曇り
    今日も登りおりの繰り返し。昼頃に小雷雨。スニルカ村で水をもらった時、庭の苺畑をほめたら、大粒の甘いのを手のひら一杯。元気を出してモンタナの街へ下る。郊外の家はまわりに果樹とぶどう畑をもっている。村々も同じで、緑のなかに赤い屋根が点々として平和な風景。
今日で3日連続30キロ、これもプロプディフを目指しているのだから仕方がない。市中心の見事な噴水の前の大きなホテルに入る。食事がうまいレストランへ従業員のおばさんが連れていってくれ、感激。

6月2日(火)休養日
始めはこのホテルをベースと考えていたのだが、夜通し噴水の音がうるさい。 次のベルゴビツァにもホ亨ルはあるので、電車でバルカン山脈の麓を登る。町の一番上に あるホテルを探していると、天使ダニエラ(高校1年生)が現れ、ホテルの受付、町の案内とやさしくアテンドしてくれた。
 山には飯豊のような残雪がある。1400mの峠を越す次の目的地にはホテルがないので、天使に車での迎えを相談するとOKが出た。町は、5・6・ 7日がブルガリアでも大きなロックフェステバルと、同時に子供フェストがあるので、移 動遊園地が来たり、ステージ作りでうきうきしはじめていた。天使も心なしそわそわして いる。友達と夜通し楽しむのだそうだ。

6月3日(水)晴れ
   モンタナへ戻り、ベルコビツァへ歩く。ゆるやかな登り。途中道端でいちごを売って いる。天使が明日は父親と迎えにゆくという。

6月4日(木)晴れ
 6時出発。麓の村では各戸がいちごを並べて売っている。美しい渓流、ぶな、白樺の 美林。結構深い山で、なかなか源流に近づけない。山の水で元気をつけながらの7時間。 やっと峠を越え、天使と約束した30キロ地点へと9キロ下る。ギンツィはヨーグルトで 有名な村。真面目なブルガリア父娘が約束の10分前ににこやかに現れた。車はロシア製 LADA。夕食は野外レストランで天使の両親もまじえ、5人で交流。

6月5日(金)晴れ
ギンツィからソフィアへは概して下り道。ギンツィから36キロ、そしてソフィアへ 9キロのコスチンプロドにホテルがありとの情報を信じてソフィア盆地の一角をめざし て目にしみる汗をこらえて歩く。しかし、ああ、ホテルは廃業。形もなし。バスでソフィ アへ。駅の案内所で歩いて数分、公園脇にあるカネバおばさんの居心地のよい民宿を紹介 してもらう。そこには4泊して通勤型から身作戦で歩くことにした。ソフィアの水は真水 で冷たく、世界一だ。

6月6日(土)晴れ一時雷雨
  身体を休めるために少しだけ歩く。残りのソフィアへの9キロと、ソフィアからの11 キロ。E−80のカフェでイスタンブールの男と話す。いよいよトルコ近くの感。夕食はとん かつを食べ、馬力アップをはかった。

6月7日(日)晴れ一時雷雨
残り2日間に100キロ余なので、4区間分担制とした。バザルジク迄のはじめ1/3は 登り、後半は谷間の下りから平地へ。8号線は車が少なく、かっこうや野ばらを楽しみな がら歩く。ブルガリア正教の鐘の音が平原にカンカラカンと響いた。バカレルは登りの途 中にある小さな村。右手に3000mの残雪の山。この日塩野さんはバカレルから10キロ白 い花清閑のアカシアの森を登り,奥多摩を思わせる樹林の谷をコステネッ迄33キロも 頑張った。プロプディフ見たさの執念だ。

6月8日(月)晴れ後一時雷雨後雨
 塩野さんはコステネッから続きの谷間下りでベロボ迄、そしてプロプディフへ。藤田 はミネラルウオーターの町ベロボからの最終区間。畑では要地物のトマトの植えつけ作業 。雷雨が2度。並木のプラタナスのかげでやりすごす。10分程でやむのだが、3度目は やまず、とうとうずぶ濡れでバザルジク駅に着いた。

 

<ブルガリアでの楽しい交流    塩野 昭夫>
 初日。塩野は親指大のマメを作る。で、藤田さんが駅へレストランを探しにいってい る間待っていると、おじさんがサクランボを大きな木に登って採りだした。少し欲しいと 頼むと、登って自分で採れという。悲しいかな登れない。藤田さんが駅舎内のバルの夫婦 が歓迎していると戻ってくる。哀れに思ったおじさんが枝付きのサクランボをくれた。
電車を待つあいだ、主人のおごり酒(ドプロクのコーラ割り)とケバブチェ(豚荒挽き細 長団子)で乾杯する。主人たち・通訳の高校生カップルと記念撮影。帰途、途中駅までつ いてきたカップルへ富士山の絵はがきとボールペンをプレゼントする。  

2日目。セルビアとの分水嶺、バルカン山脈のローソク岩峰や山の中腹の美しい集落 を見ながら歩く。今晩はこの村で野宿だろうと思いながら、村の中心ただ1軒のバルに着 く。一休みして藤田さんが村はずれの羊番小屋泊まりを願い出ると、バルの主人が「そう はいかん。どこかの家に泊まれるようにする」と言ってくれた気配で−−一安心。近所の人達 が夕食後のカフェを飲みにくる。主人アンギャ・隣のスタニ少年ら大勢にワインとウィス キーをふるまううち、日本・ブルガリア交歓会になった。
9時ごろこざっぱりしたなりの 銀髪のおじさんが釆た。聞くと、53才でソフィアでの生活がいやになって羊飼いをして いるという。上手くはないが英語を話す。多分政変か国営企業の閉鎖によって失業したの ではないか。夜遅くまで歓談。我等がねぐらも結局バルに一番近いスタニ少年のはなれと なった。翌朝親切な人々に見送られ、今回最長36キロの道へ出発した。

4日目。ベルコビツァの街の警察で藤田さんがホテルを訪ねているあいだに、塩野が 入口で当たりを見回していると突然可愛い娘さんが「メイ アイ ヘルプ ユー」。山裾 のローカルホテルまで案内、キリル文字の受付手続き−切の面倒をみてくれた。
翌々日の バルカン山脈の峠越えでホテルがなくなって困っている、夕方車で迎えにきてくれる人は いないだろうかと相談すると、夕方5時までに探してみますとの答え、彼女は工場早番の 父親を口説いてOKさせ、5時きっかりにホテルに現れた。それから、待ち遠しい週末の ロックフェステバル会場のステージ作りを見に行こうと誘う。サッカーゴールのある草っ 原の会場で若者たちがステージを作っている。皆ダニエラの知人、手作りの祭典なのだ。
ミュージシャンはテント泊まりもいるらしい。スポンサーはコカコーラだ。  次に隠れブルガリア正教の教会。普通の平屋を大きくしたような建物の内部はまさに 教会。一本ずつお灯明を捧げ、しばしイコンを見つめる。ダニエラはちょっと前に線香を 買ったといって日本人を驚かす。ダニエラ(高一)の英語はかなり上手だ。いまやブルガ リアでは中学から英語の授業がある。
 翌々日の夜、ダニエラ、父親メトージ、母親クラシミラさんの5人でレストランの食 事をする。両親は英語は話さないが、日本のこと、日本の宗教について関心を持っている 様子。ダニエラから日本の4つの島の名がでる。2年前迄長崎の同年代のペンパルがいた ようだ。お母さんは娘時代、300キロ離れた村からここに移り住み、お父さんと知り合 ったこと、是非白分の家で手料理を食べてもらいたかったなど話はつきなかった。   

8日目。ソフィアのプライベートルーム(民宿)の宿泊代は大人14ドル、学生11 ドル、子供9ドル。外観に比べ室内は大変きれい。ここに500年続いたイスラムの影響 だろう。部屋数4、カネバ老婦人が一人で住んでいる。息子が泊まった日もあった。
ここ を拠点として最後の100キロを空身で歩く。その間、洗濯物を干しておくと、きれいに たたんであり、心遣いを感じる。3日間に歩いたコースを説明しサインをもらった。この 次は案内所を通さず、直接訪ねてきてくださいと国番号まで書いてくれた。   

9日目。バカレル駅から炎天下の平原を歩いていたら、昼過ぎ3人の子供がついてき た。物珍しかったようだ。子供達が消えると、こんどは3人の大人が後ろを歩いている。 1時間後、青年たち20人程が合唱しながら街道を歩きだす。何かの祭日のようだ。街道 の両サイドを20分はど並行して歩く。彼らもみな手を振ってくれる。
ソフィアへ戻るコ ステネッの駅で、列車待ちの40分間、3人家族のおばあさんと英語で会話を楽しんだ。 この日3人の英語の上手な人に出会った。

<付記 安全・荷物・天候・食事・交通・通信・費用など >
● 防犯についてはホテルの人達から充分に気をつけるよう注意された。ジプシーと浮浪   者。街道は人っこ一人いないので町外れあたりが要注意。しかし多くのブルガリア人   はシャイで純粋な人達です。
●荷物はできるだけ軽量に。雨具は不要。下着は毎晩洗濯すればすぐ乾くので2着で間   に合う。薬は特には不要。マメ対策用のバンドエイドは充分に。日用品は現地で調遠   できる。 ・天候は晴天が続き、午後入道雲が出た。最高気温は30℃を超えた日もあったが、   朝晩は涼しい。 ・食事はカフェ、レストランで。飲み物・パンはカフェで売っている。トマト、キュウ  リ、ワイン、ヨーグルトはうまくて安価。コーラ小瓶30円、ジュース小瓶10円、   ワインボトル300円位。
●鉄道の客車はそんなに汚れていない。駅のトイレは汚い。運賃は大変安い。乗客には   荷物を持つ人が多い。生活物資か。タクシー代は1キロ1ドル位。メーターのついた   車ならぼられないようだ。
●電話はカード式が多い。2社制。
●製造工場は5施設の内3つは窓ガラスが破れ、鉄骨は赤錆が出ている。人けが全くな   く、うらぶれた感じだ。隣接して小規模の新しい企業が見受けられることもある。
●−方、町や村では新築中の住宅を多く見受けた。4階建てのモダンなものもあり、う   らやましい。多分出稼ぎ族のものだろう。  
●滞在日数11日、滞在費用総額300ドル。すべてシングルルーム、タクシー多用。