第29区間;ブルガリア道中膝栗毛付録、イスタンブール見物記 佐藤 庄一 99/8/8 日程 7/1(木) 成田(Aeroflot SU581 12:00)→モスクワ(17:05) Novotel(トランジットホテル)泊 7/2(金) モスクワ(SU171 10:40)→ソフィア(12:40)ソフィア市内見物 カネバおばさんの民宿 泊 7/3(土) ソフィア(列車)→パザルジク(歩き)→スタンボリスキ(列車)→プロヴデイフ Hotel Bulgaria泊 7/4(日) プロヴデイフ(列車)→スタンボリスキ(歩き)→プロヴデイフ(歩き)→サドヴォ(列車)→ プロヴデイフ Hotel Bulgaria泊 7/5(月) 休養日 プロヴデイフ(バス)→バチコヴォ僧院(バス)→プロヴデイフ 市内見物 Hotel Bulgaria泊 7/6(火) プロヴデイフ(タクシー)→サドヴォ(歩き)→デバー(バス)→ハスコヴォ Aida Hotel泊 7/7(水) ハスコヴォ(バス)→ビャラレカ(歩き)→ハスコヴォ Aida Hotel泊 7/8(木) ハスコヴォ(バス)→ブルガリア トルコ国境→イスタンブール Park Hotel泊 7/9(金) イスタンブール市内見物 Acropol Hotel泊 7/10(土) イスタンブール市内見物 Acropol Hotel泊 7/11(日) イスタンブール(SU504 13:25)→モスクワ(17:20)モスクワ(SU581 19:05)→成田(7/12 9:40) 歩行者 和田 航一(W: WV 3期、7-工-機、64才) 佐藤 庄一(WV 1期、5-工-機、66才) 記録 7/1(木) 5:45起床、7:00家を出る。成田エクスプレス9号 新宿8:03 空港第2ビル9:25 9:30Wに出会う。DFSでお土産用にタバコ1カートン1600円、ボールペン2本1000円(カネバおばさんへの土産)を買う。 アエロフロートSU584 Air Bus 301座席36AC(何故Bがないのだろう?)ほぼ満席。12:00定刻に離陸。モスクワまで9時間40分のフライト。 イヤホンのサービス無し。食前にワイン、ビール(カールスバーグ)のサービスあるも、肝心の食事のときにワインの提供無し。映画の上映も無し。日本海を横断して沿海州に入り興凱湖?を見る。 眼下、蛇行する大河を何本も見る。雪のウラル山脈?を左に見る。あと2時間のフライト。 モスクワ、シュレメチボ空港第2ターミナル17:00着。日本との時差5時間。 気温32℃、北の都市モスクワのイメージと違い、暑いのに吃驚。Passport Control でHotel Voucherを渡される。Transit Hotel (Novotel)へ行くのに大分待たされる。バスでNovotelへ、なかなかきれいなホテル。聞いてはいたが、不法入国対策で同一フロア以外何処にも行かれず、まさに収容所。流石いろいろな人種がいる。 ユーラシア大陸に第一歩を印したということで、まずはHeineken Beerで乾杯をする。 私の部屋で、明日以降の行動の作戦会議をやる。22:00就寝 7/2(金) 3:00(日本時間8:00)一旦、目覚める。6:00モーニングコールが鳴る。6:30部屋に朝食が運ばれてくる。バスで第2ターミナルへ向かう。建物内空調無く暑い。 ブルガリアに30回来ている(昨年5回 今年は3回目)という小父さんと話をする。「黒海の近くに羊の毛皮の縫製工場を持っている」 SU171ソフィア行き TU154(160人乗り)、10:30に搭乗するもなかなか動かず。11:30やっと離陸。ソフィア空港着13:05(日本との時差6時間)。 空港の両替所で100$→189,500Lv。空港から中央駅までタクシーで行く。(15$というのを12$で) 藤田情報にある、カネバおばさんの宿に行くことする。藤田地図によると宿は駅の北側にあることになるが、駅構内から北側へ行かれない。どうも変だ。駅員をつかまえて聞いてみるが、埒があかない。構内の案内所に連れていかれる。(藤田情報にある案内所) 話はすぐわかった。何の事はない、藤田地図にある鉄道線路のパザルジク方面の矢印が、逆を挿していたのだ。すなわち、宿は駅の南側にある。案内所の主人「カネバの宿へ行くならここで金を払え」 我々「いや直接カネバ宿へ行く」 主人「結局ここに戻ってくる事になるよ」 そのときはピンとこなかったが、カネバおばさんとしては、直接お客を取ったことがばれると、案内所からお客を回してもらえなくなるということだ。しかも、我々が案内所でカネバ宿へ行くといったのだから、もう見え見えだ。 案の定、カネバおばさんに断られた我々は、すごすごと案内所に戻り、一人15$払う羽目になった。お粗末の一席。 カネバ宿に落ち着いて間もなく、激しい夕立。 帰り便のリコンファームするため、アエロフロートのソフィア事務所に電話するも、こっちの発音が悪いのか、向こうの耳が悪いのか、話が通ぜず、カネバおばさんの甥?の案内で雨の中、事務所までタクシーを飛ばし、リコンファームを済ます。 夕立の名残のなか市内見物。 ソフィアの顔アレキサンダルネフスキー寺院、 ねぎ坊主屋根の聖ニコライロシア教会、 4世紀以来長い歴史を今に伝える聖ゲオルゲ教会、 屋根だけを地表に突き出している聖ペトカ地下教会、 ブルガリア正教の聖ネデリヤ教会、 膨大な所蔵品を有する国立歴史博物館。 夕食は、地ビール(カーメニッツア)、メルニックの赤ワイン、タラトール(冷たいヨーグルトスープ)、カヴァルマ(豚肉トマトマシュルームチーズ) 7/3(土) 夜、蚊が出る。 犬の鳴き声やかましい。 6:00起床。パッキング、消毒液が漏れポリ袋の中が洪水。カットバン、胃腸薬など水浸しになっていた。カネバおばさん起きてくる。別れの挨拶をして3000Lvのチップを渡す。 駅へ行き、パザルジクまでの切符を買い、7:15発の列車に乗る。8人掛けコンパートメント。 前の座席の若い男、電気技術者で英語を話す。パザルジク駅着 9:15。 W、駅助役に掛合いパザルジク通過証明のサインを貰う。 いよいよ歩きのスタート。民家の煙突の上に巣を掛けているコウノトリをはじめて見る。 8号線、道路の左端を自動車と対面して、ひたすら歩く。若い女性のヒッチハイカーを時々見かけるが、どうも様子が変だ。その中気付いた! 自動車の運転者を誘う商売女だ。 途中で水を飲み尽くすも、水を売っている所も、食事をとる所も無い。道端でアンズ?を売っている小父さんに、 「少し分けてくれ」と言ったら帽子に一杯入れてくれ「持って行け」という。 また道端所々に西瓜売りが店を広げているが、その近くで小休止をとった時のこと。 店番のおばさんが、西瓜を持って我々の所にやってきて、割ってくれ、「食べろ」という。純朴で親切な人達だ。 渇水状態の我々にはまさに干天の慈雨だった。この時はお礼に日本のタバコをあげる。 おばさんの親戚?(父親と娘)がやってきたので、写真を撮ってあげ、送ることを約束し、住所を書いてもらう。 娘(高1くらい)は英語を話す。最近、ブルガリアでは学校で英語を教えるようになったとかで、 若い子(高校生?)は英語が話せる。 <道端の西瓜売りと和田(パザルジク〜スタンボリスキ)> やっとのことで、スタンボリスキ駅に辿り付く。プロヴデフ行きの列車を待つ間、カーメニッツアで乾杯。 本日の歩行距離 20km。 プロヴデフでの宿は、ガイドブックで見当をつけておいた、ブルガリアホテルに行くことにする。道を間違えたが、何とかホテルにチェックイン。50$/2ベッド。 プロヴデフは通りに大きな鈴掛けの街路樹を持った、落ち着いた町だ。 夕食トルコ料理屋に入ってしまう。(ブルガリア料理屋に入りかったのに) チキングリル量が多くて食べきれない。 7/4(日) 6:00起床。6:50出発の仕度をして下にいく。朝食は7:00からというので、暫時待つが、食堂に人影も無い。フロントのおばさん今度は7:15になったらという。気がせくので、食べるのは止めにして、駅へ向かう。 駅前のスタンドで、パンとボザ(麦の発酵飲料)を買い、昨日歩き仕舞いにした、スタンボリスキへ7:25の列車で向かう。 昨日の渇水に懲りたので、駅売店で水500mlを2本買込む。プロヴデフへ向け歩き始める。この道は8号線と平行している道で、あまり車は通らない。時々荷馬車と行き違う。ここでは馬車は、まだまだ農家の有用な運搬手段だ。快晴の炎天下、照返しの強いアスファルト道を、逃げ水を追いながらひたすら歩く。まるで苦行僧だ。45分歩いて15分休むペース。 プロヴデフの西の市境につく。タクシーを拾い駅へ行く。駅前の木陰の野外レストランで、サンドイッチとコーラの昼食を取る。 タクシーで東の市境まで行き、そこからサドヴォへ向かって、午後の部のスタートだ。日差しは益々厳しく、気温を測るとなんと36℃。日本では見られない、広大なひまわり畑。16:00サドヴォ駅に着く。歩行距離28km。 駅売店の一家(夫婦、娘16、息子12、主人の弟)、ペンキ塗りを終えて寛いでいるところに割り込み歓談。瓜をむいてくれ、リキュール?まで出してくれる。息子が急に日本語で「いち、に、さん、し...」といい始める。聞くと極真空手を習っているとか。一家の写真を撮ってやり、送ることを約束する。大きな瓜を一つ貰い、17:42各駅停車でプロヴデフへ帰る。プロヴデフ駅に着く直前、急に気分が悪くなる。下車してベンチで少時休んでいたら良くなった。リキュールの所為?ホテルで洗濯。まめの手当て。 夕食は、イタリヤ料理のパスタ、量が多くて食べきれない。私には七掛けで十分だ。ホテル代前払い100$/2日分。 7/5(月) 6:00起床。身体がだるい。今日は休養日とする。ホテルの食堂でアメリカン(朝食はホテル代に込み)。 バチコヴォ僧院へ行くことにする。この僧院は、国内ではリラの僧院に次いで2番目に優れているとされ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。ロドビバスターミナルから、9:00のバチコヴォ行きに乗る。1000Lv約一時間。月曜日の所為かあまり見物客がいない。Wスケッチを始める。昼食は、直火焼きのハンバーグに、アステイカAstika ビール(国内でカーメニッツアと並ぶ人気ビール)、18000Lv/2人。帰りのバスは何故か800Lv。 午後市内見物。北へ、両側に露天が並ぶ橋でマリッツア河を渡る。ネベテベの遺跡、高台で新旧市外が良く見える。 ローマの劇場跡(今も野外劇場として使われている)に、なんとなく入り込んで写真を撮る(本当は有料)。 W、シェイクが恋しいとかでマクドナルドに入る。屋外の椅子に座って道行く人々を眺める。 若い女の子のスタイルの良いこと、皆が皆、短いスカートに、かもしかの足、眼福。 夕食で、ブルガリア料理ムサカ(ひき肉卵ジャガイモにチーズをのせて焼いたもの)にありつく。 明日からはまた歩きだ。まめの手当てをして、10:00就寝。 <ネベテベの遺跡にて 佐藤(プロヴディフ)> 7/6(火) 駅に行く。サドヴォ行きは8:56、1時間待たなければならない。時間がもったいないので、タクシーで行くことにする。サドヴォ駅まで、一昨日歩いた道を、タクシーで飛ばして20分、8000Lv。 結構歩いたものだと、感慨ひとしお。駅売店のおばさんに挨拶。先日と違って今日はこぎれいな洋服で、客と対応していた。 一路、東へ今日は移動日なのでフル装備。一回目の休みで、先日貰った瓜を食べる。うまい。ポポヴィカPopovikaで昼食。14:00、とにかく暑い。襟を立てて歩く。右足にもまめが出来てきた。緩んだ靴のひもを締め直そうと、ザックを背負ったまま、前かがみに靴に手を伸ばしたとき、腰に痛みが走る。Wに心配掛けてはと、痛みをこらえて歩く。腰と足の二重苦だ。デバーDebar16:30。今日はここまでとする。歩行距離25km。 通りかかった、ハスコヴォ行きのバスに乗る、17:10 、1700Lv。ハスコヴォ着17:40。バスターミナルでお巡りさんをつかまえ、ガイドブックの会話「この辺りにホテルはありますか」を指差す。お巡りさん首を横に振って(イエスの動作)、タクシーを呼び、「ホテルに案内してやれ」。アイダAidaホテル60000Lv/2bedに、チェクイン。 夕食は、ホテルのレストランで白ワイン、タラトール、カヴァルマオムレッツ、33000Lv/2人。 Wから鎮痛塗布薬バンテリンを借り腰に塗る(私、持ってきたつもりが無い)。これからずっとお世話になる。夜、腰が痛くて寝返りも打てず。 <道路標識の前で佐藤(サドヴォ〜ポポヴィカ)> 7/7(水) 7:30バスターミナルへ。昨日歩き仕舞いをした、デバーの5km手前のビャラレカまでバスで行く。疲労も溜まり、炎天下の長丁場(本日の予定距離34km)の歩きにやや不安を感じたこともあり、残念ながら、5kmの空白区間を作ることになってしまった。 ビャラレカで、トルココーヒーとチーズ入り三角パンで腹ごしらえをする。 今日も暑い。馬糞の落ちている道端を黙々と歩く。10:30店の日除け傘の下で、コーラタイム。コーラが、こんなに美味いものとは知らなかった。ゴルスキイズヴォールGorski Izvor12:10。挽肉の串焼きとパン、アスチカビールで昼食。15:10コーラタイム。それにしても、歩きの初日何故このような店が一軒も無かったのだろう。 17:00ハスコヴォ市境に着く。歩行距離25km。 ガソリンスタンドにいたタクシーをつかまえ、ホテルへ、帰着17:15。 「やっと終わった!」連日の晴天猛暑の中、良く歩いたもんだ。 「自分で、自分の足をほめてやりたいよ」町中のレストランで、祝杯をあげる。 食事メニューは昨夜と同じだが値段は22000Lvと安い。夜、まめの手当て、大分固まってきて痛みは薄らぐ。洗濯。 <やっと終わったなとグラスを傾ける和田(ハスコボ)> 7/8(木) 今日も晴れ。腰はまだ痛い。ホテル代一日60000Lv。「支払いはLvでなければ駄目」というので町の両替屋に行く。1899Lv/$、 50$→94700Lv(手数料250)。ブルガリアでは、7/3からデノミが実施されて、新紙幣の発行(旧20000Lv紙幣→新20Lv紙幣といった具合)で、新旧混用されている。ホテル代新紙幣で支払う。10:00チェックアウトしてバスターミナルへ行く。イスタンブール行きを申し込む、一人30DM(ドイツマルク)。ドルでというと16$とのこと。出発は14:00。町中をぶらつく、悪がきが5、6人寄ってくる。昼食サンドイッチでかくて食べきれない。バスが出発したのは14:20。イスタンブールまで行く長距離バスだというのに、このバス、エアコンが無い。暑さでズボンの尻も汗でびっしょり。途中30分の休憩があって、16:00国境に着く。トルコ入国の税関検査なかなか厳しい。このバスに担ぎ屋の一団が乗っていたせいもあり、荷物検査に手間どり、国境通過に2時間かかって、バスがトルコ領内を走り出したのは18:15。トルコ領に入ると道が俄然良くなる。途中の休憩でトイレに入ったが、トルコのお金が無いので、使用料を勘弁してもらった。ゆるい起伏を縫ってバスはひた走る。途中左手に原発の冷却塔を見る。 21:30、イスタンブール郊外の地下鉄駅の所で、「ここで降りるのが良い」とバスから降ろされる。だが、TL(トルコリラ)を持っていないのだから、地下鉄の切符も買えやしない(バスターミナルのオトガルOtogarまで行ってTLを手にする予定であったのだが)。一緒にバスから降りた若い男に聞くと、「向こうに見える賑やかな所に行くと両替屋がある」と、いうので行ってみたが見つからない。食べ物屋に入り、「この辺に両替してくれる所はあるか」と、聞くとうちでやってやるとのこと。40,000TL/$というので40$替えてもらう1,600,000TL。メトロ(地下鉄)で旧市街のアクサライAksarayまで二人分400,000TL。メトロ車中で我々をじろじろ見ていたトルコ人がやってきて、Wに向かって、「ウズベキスタン?」と聞く。W、憤然と「ジャパン!」と、答える一幕。アクサライからタクシーで、ガイドブックで見当つけておいた、アヤソフィアAyasofyaちかくのHotel Parkへ向かう。タクシー代1,200,000TL、これで両替したTLは無くなる。危なく足を出すところだった。22:30チェクイン、35$/2bed朝食付き。 ふと壁の両替レート表を見ると、なんと400,000TL/$と、あるではないか。先刻の店の奴に完全に騙された。十分の一のTLしか渡さなかったのだ。このゲームは私の負け。荷物を部屋に置いて、遅い食事をとりに表に出る。ケバブの店に入りビールを頼んだが、「置いてない」と言う。ああここはイスラムの国なんだな。ケバブとコーラで6$/2人。なにか物足りないので、Four Seasons Hotel(一泊280$もする高級ホテル、この建物は1970年まで刑務所として使われていた)のバーに行き、大枚20$はたいてドライマーテイーニの杯を挙げ、イスタンブール到着を祝す。それにしても藤田のことが思い出される。ビールを買って、部屋で午前1時半まで歓談。長かった一日が終わる。 7/9(金) 7:30さわやかな風が吹き抜ける屋上で、簡単バイキングの朝食。座った所から右にアヤソフィア、左にブルーモスク、後ろはマルマラ海を行き交う船が見える。泊まった部屋は良くなかったが、朝食の環境は最高だ。ささやかな贅沢をしようと、宿替えする。Acropol Hotel 、70$/2bed、バスエアコン朝食付きに移る。市内見物に出かける。 @トプカプ宮殿、入場料2百万TL、ハーレムは別に1百万。セルフサービスのカフェテリヤで昼食。ボスポラス大橋を望むA考古学博物館 Bアヤソフィア C地下貯水池(地下宮殿) Dブルーモスク Eトルコイスラム美術博物館 オリエントエキスプレスの終点、スイルケジ駅へ向かう線路に沿って、マルマラ海の海岸通りを歩く。昨年暮の嵐で横転したという貨物船が、そのままの姿で係留されている。ホテル上階のレストランで、暮行くマルマラ海、ライトアップされ、夜空に浮かぶブルーモスクのミナーレ(尖塔)を見ながら、夕食をとる。 Wたまにはと、卵料理を頼む。運ばれてきた料理(ナスで肉を挟んだ)を見て、W「これは何だ」ウエイター「Eggplant...でございます」註)EggplantはナスW「俺は一生Eggplantという英語は、忘れないぞ!」私は、ステーキトルコワイン赤(4,800,000TL)しめて、二人で、なんと、15,100,000TL(48$)。TLのゼロの多さには、頭が混乱してしまう。 7/10(土) 朝食は地階のレストラン。このホテルは、きれいだしサービスもなかなか良い。 市内見物にでる。@グランドバザール釣人が沢山いるガラタ橋を渡って新市街へ Aドルマバフチェ宮殿 B軍事博物館、中庭にF-104戦闘機が置いてあった。オスマン時代の服装をして、軍楽隊の演奏があるというので、期待して行ったのだが、残念ながら聴けなかった Cボスポラス大橋(3km)を、歩いて渡ろうじゃないかと、橋のたもとまでタクシーで行く。橋への連絡道にかかったところで、「ここで降りる」と言ったが、運転手は「ここで降ろす事は禁止されている」。仕方が無いのでアジア側まで行く。自動車道の外側に、歩道がついているのが見えるが、誰も歩いていない。アジア側料金所を出た所で降りる。値段を聞くと、メータが壊れているが「走行距離からいって5百万だ」という。面倒なので言い値を払う。橋を渡り返すべく、歩いていくと、向こうからバイクに乗った警官が来て、「何処へ行くのだ」。「橋を歩いて渡りたいのだ」。「この橋を歩いて渡るのは駄目だ」。アジア側、ボスポラス海峡沿いの道を、ユスキュダルUskudar(日本で流行った唄では、ウスクダラ)まで3km歩く。ユスキュダルからは、海上バスで旧市街エミノニュEminonu桟橋へ。ホテル帰着19:00。シャワーを浴び、ビールでのどを潤す。イスタンブール最後の夜は、白ワイン(Villa Doluka)で乾杯。鶏肉トマトスープなどで1千5百万TL。 7/11(日) 朝食8:00。空港まで車を頼む、6百万。10:00ホテルを出る。 海沿いの道を、西から南へ、所々遺跡(城壁)を見ながら、約20分でアタチュルクAtaturk空港に着く。空港外周は工事中。 モスクワ行き、SU504 TU154、13:40離陸。 飛行時間2時間30分、黒海の上を飛び、モスクワシュレメチボ2着17:05(トルコ時間16:05)。東京行き、SU581 Air Bus310、19:40離陸。機内食のフォークスプーン類プラスチック、もう金属のものは使わなくなったのかな。離陸後2時間半、機外はまだ明るい。 7/12(月) 成田着10:00。Wは、明日から仕事、「ご苦労さん」再会を約して別れる。私は、京成スカイライナーで帰る。帰宅13:30。 今回の日程では、歩きに行ったのか観光に行ったのか、わからんと言われそうです。12日間のうち歩いたのは、4日間だけ。目的地への入国、日本への帰国で4日。イスタンブールへの移動に1日、観光に3日間といった具合。まあ、60才も半ばの爺様となれば、これくらいの、のんびりさが良いところ。会則に合致していれば、ガツガツ歩くことも無いか。それにしても、良い機会を与えて頂き、和田さんをはじめ、会の皆さんに感謝。 装備 (出発時パッキングしたザック重量 : 5.5kg)歩行時、水1kgが加わる ザック35L軽雨具(ナイロン上下)長袖カッターシャツ綿ズボン Tシャツ2ポロシャツ2パンツ3 靴下3薄手ジャンパー帽子*洗面具(タオル2歯磨きひげそりはさみ爪きりナイフヘアクリーム)*薬、まめ対策(栄養剤下痢止めオロナイン軟膏バンテリン底まめ防止パッド カットバン消毒液注射針)小型肩掛かばん磁石温度計地図地球の歩き方(ブルガリアイスタンブール)デジカメ(スマートメデイア8MB×2、2MB)単三電池8お菓子、飴少々*貴重品入れ(パスポート(コピー4)航空券モスクワ宿泊券VISAカード 運転免許証お金(5万円、805ドル)) 註)綿ズボンは、洗濯してもなかなか乾かないので、はき通してしまったが、10日間ともな ると替ズボンが必要だ。ジャンパーは不要であった。 まめについて まめは、長距離歩行をすると避けられないものか?まめは漢字で"肉刺"と書くが、特に底まめができると、足を踏み出すたびに、頭にまで突き抜けるようなあの痛さは、まさに肉を刺す感じ。経験した者で無ければ分からない。今回のウオークでも、まめに悩まされたが、ギブアップすることなく完歩できた。 その原因を記すと、 @藤田、和田推薦のウオーキングシューズ、"ワールドマーチ"を使用 A行く前に20km2回、30km2回歩いて足の裏を鍛えた B小またハイピッチ歩行。大またで歩くと、後ろにけり出す時、足指の付け根に大きな力がかかり、まめができやすい CDr. Schollsの"底まめクッション"というのを見つけ(日本歩け歩け協会水道橋)、今回試用してみたが、効果があったといったところ。 まめの手入れについて: 水泡を針で刺して水を抜くのだが、使う針は、注射針をすすめる。根元にプラスチックのソケット(というのかな)があるので、縫い針より扱いやすく刺しやすい。消毒は、カット綿にアルコールをしませたものを、持っていく。水を抜いたあとは、化膿止め軟膏を塗り、カットバンを貼っておく。 |