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 1.計画コース概要
地域分類 トルコ〜グルジア〜アゼルバイジャヤン区間番号 35〜37・43
国名 トルコ( TURKEY )実施時期 2002.5.31〜6.14
計画区間 IZMIT〜GEREDE〜KURSULU・FASTA〜GIRESUN歩行者 5名(35〜37区間)、4名(43区間)
 2.メンバー表
No役割・分担氏  名備  考
1リーダー 土屋 淳一 4期
2記録 諸岡 俊充 3期
3 渉外  平林 功男 4期
4会計 新井 清 5期
5  石塚 正太郎 5期
 3.行き・帰り
出発日出発到着便名
往路02.05.31 成田 イスタンブール TK51/トルコ航空
復路02.06.18 TRABZON ISTANBUL TK551/トルコ航空
02.06.20 ISTANBUL 成田(6.21) TK50/トルコ航空
 4.現地/アゼルバイジャヤンの活動
滞在日年月日出発〜到着区間距離天候宿泊
02.05.31(金) 成田〜ISTANBUL  Istanbul泊
202.06.01(土) ISTANBUL〜IZMIT(チャーター車で移動) 晴/雷雨 ADAPAZARI泊
302.06.02(日) IZMIT〜HASANBEY/35区間49 km/2P ADAPAZARI泊
402.06.03(月) HASANBEY〜KAINASLI73km/3P晴/雷雨 ADAPAZARI泊
502.06.04(火) KAINASLI〜BOLU/36区間30km/2P晴  BOLU泊
602.06.05(水) BOLU〜GEREDE55km/3P晴/雷雨 BOLU泊
702.06.06(木) GEREDE〜YENIKOY/37区間57km/3P BOLU泊
802.06.07(金) YENIKOY〜KURUSNLU39km/3P KURUSNLU泊
902.06.08(土)KURUSUNLU〜SAFRANBOLU バスで移動  SAFRANBOLU泊
1002.06.09(日)SAFRANBOLU 観光  SAFRANBOLU泊
1102.06.10(月)SAFRANBOLU〜FATSA バスで移動  SAFRANBOLU泊
1202.06.11(火)FATSA〜ORDU バスで移動  ORDU泊
1302.06.12(水)FATSA〜ORDU 58km/3P  ORDU泊
1402.06.13(木)ORDU〜GIRESUN 45km/3P  ORDU泊
1502.06.14(金)ORDU〜GIRESUN バスで移動 以下省略  GIRESUN泊
 5.区間コース

6.記録  諸岡 俊光(3期)
L土屋の事前の錦密且つ、十分な調査と関係各方面との打ち合の上計画された行動予定は、 略計画通りに実働出来ました。唯、当初参加予定の和田君が家族の関係で不参加となり、又、 計画完成後に平林、諸岡が参加した為、行動内容に若干の変更はありました。

5月31日:曇り
成田発12時55分のトルコ航空でイスタンブールヘ。
出発2時間前10時55分前に全員成田空港第2ターミナル・トルコ航空カウンター前に集合する。
飛行機は予定通り成田空港を出発し、イスクンブールには予定より若干早めの19時15分 頃(時差マイナス6時間)に到着、DORAK社の配車により20時にGRAND ANKA HOTELに到着す。

6月1日:晴れ
昼食時一時雨 イスクンブールからアグバザルヘ移動日。
DORAK社手配の車にて、Adapazariに向け9時にホテルを出発し、途中、日本領事館に今回の 旅行計画書を提出し、DORAX社に挨拶、前回お世話になったジャンダルマにお礼の挨拶(土屋)し、 Herekeにて昼食、アグバザルに14時過ぎに到着しAYKAR HOTEL(3泊1人5千万リラ)を予 約、その後市内観光、夕食後ホテルに帰途時にJICAから派遣されている日本人・竹山氏 (今回の旅で会う初の日本人)に声をかけられ、明日の夕食を18時に共にすることを約す。

<日本総領事館前にて><99年お世話になったお礼に訪問>


6月2日:晴れ
 2班に別れて行動開始IZMIT駅からHasanbeyまでを出会い形式とした。
石塚.平林.諸岡班はAdapazariを8時にバスでHasanbeyに向かいHasanbeyを8時25分にス タートし、目標のAsagiderekoyに15時10分頃に到着するも、土星.新井班に出会えず石塚 が迎えに一人で出向き16時過ぎに合流し、日曜日のためか満員のミニバスにてAdapazari に戻る。
土屋.新井班はアグバザルを出発するのがバスが遅れた為、IZMIT駅からのスタートも遅 れた上、走行距離も長く、歩道は狭く、車の通行量が多くて大変に苦労をされた由。
お互い初日の行程としては、きつい感があったと思われた。唯、道路脇には赤、自、黄色、 紫、青の花が咲き乱れていて我々の旅の疲れを癒して呉れたのは幸いだった。特にケシの花 とアザミの花が目立って印象に残っている。それがKursunluまで続いた。
 夕食は約束通り竹山氏と共にし、Adapazariでは数少ないアルコールが飲めるレストラン を紹介された上、竹山氏のトルコ生活での実感のこもったトルコの文化・習慣・イスラムの 教え等をご教授いただき、その後の我々の旅に多いに参考になった次第である。
<右から2人目が竹山氏><子供たちに囲まれる平林>


6月3日:日中晴れ16時半過ぎ頃から雨一時スコールのようなドシャブリ。
唯歩行中は雨なし。HasanbeyからKaynasliまで3班に別れての歩行、約9時にAdapazariをバスで出発する。
 尚、出発に先立ち竹山氏より全員にオニギリ2ヶと茹玉子のお弁当の差し入れあり。感謝!
平林、諸岡班はHasanbeyでバスを降り9時15分Hendekに向かい、Pipirからスタートの石 塚とHendekのインターチェンジの入り口で15時35分に出会い、ミニバスにてAdapazariに 16時過ぎに戻る。尚、Hendek郊外では、小学校の退校時間に会い平林は子供達に囲まれて What’s your name?、How old are you?の挨拶(これはトルコ滞在中子供達に言われる。) の大歓迎を受け、写真を撮るサービスで応えるのに大忙しであった。トルコの子供達は特に 人懐こく可愛い子供が多いように思われた。
土屋.新井班はPipirからKaynasliまでの歩行距離を終えAdapazariに戻る。
夕食は豪雨の中、別のレストランを探すが、給局昨日のレストランを利用する。

6月4日:晴
AdapazariからBoluへ移動後、KaynasliからBolu市街まで2班に分かれ歩行。
全装備携帯しBoluまで歩く予定を変更し、Adapazariを9時に高速バスでBoluに向けて出 発DORAK社が手配のKoru HOTELに10時30分に到着。KORO HOTELは超デラックスのリゾート・ ホテルでBOLU市中心から約15キロ程離れていた。11時30分に2班に別れてKaynasliからBolu のバス・ターミナルまで歩行開始する。
土屋.諸岡班はホテルからバス・ターミナルまでとし、途中、昼食で約1時間の休憩後Bolu バス・ターミナル着後、即、16時発のミニバスにて16時40分にホテルに戻る。
石塚.新井班はホテルからKaynasliに向けて、厳しい下りの行程を消化しホテルに戻る。
平林は体調不調の為休養となる。ホテル内のハマムにて全員疲れを落とし、夕食はホテル 内のレストランで久しぶりにリッチな気分をあじわい全員満足する。

6月5日:朝曇り、日中晴れるが時々通り雨や雹が降る不安定な天候
今日は3班に別れてBOLUからGEREDE迄の予定通りの行程。ホテル近くのバス停を8時15分発 のバスにてBOLUオトガルヘ。オトガル9時発のGEREDEへ向かうバスに全員が乗る。
新井.諸岡班はYovaで下車し9時15分スータートでBOLUへ向かう。途中、雨の為30分の休憩 を2回余儀なくされたが、BOLUバス・ターミナルには13時30分に到着し、昼食、PTTへ立ち寄り 、BOLU市内散歩後15時20分発のバスにて16時にホテルに戻る。
YovaからBOLUに至る風景と気候は北海道の十勝平野を思わせるものがあり、懐かしくもあ り、凄く親しみを持てる快適な旅でした。
石塚班はYuvaからYenicaga迄の一人旅。バスの巡り合わせが悪くホテルヘの帰還は遅くなる。
土屋.平林班はYenicagaからGEREDEまで。GEREDEは標高が高い為か途中で雹に見舞われる 寒さに耐える場面もあったとか。唯、平林のマイペースで余裕ある旅を楽しまれた由。
ホテルに帰還後は昨日同様ハマムで汗を流し、ホテルのレストランで夕食の団欒を楽しむ。
ホテルのレストランは、ホテル同様高級で市街のレストランに比較値段は2〜3割は高めの 感あり、反面、雰囲気は勿論、味は格段に上である。

6月6日:快晴
今日はGEREDEからYenikoy迄を、土屋.石塚.新井の3人が分担で歩行し、平林. 諸岡の2人は明日の宿探しにKursunluに行くことになる。
土屋.石塚.新井班は昨日同様8時15分のバスでBOLUのオトガルヘ、そこから各人の目的地 までバスを乗り鍵ぎ歩行を開始し、予定のコースを完走しホテルに帰還する。
平林.諸岡班は9時10分発のバスにてBOLUオトガル経由GEREDEへ。GEREDEでKursunlu方面 行きのバスを探していたら、地元の世話人がこのバスに乗れとのことでミニバスに乗った のだが、そのバスはKARABUK行きでGEREDEから30キロ程先でKARABUKへの分岐点で降ろされ 不安がつのるばかりで2人でブラブラ歩いていると、トラックが止まり取り敢えずCerkes まで行くから乗れとのことで乗り、Cerkesで降りウロウロしていると3人程のPoliceがいて 事情を話すと、Policeがトラックを止めてくれ、そのトラックにKursunlu迄乗せてもらう。
Kursunluに着いたのは13時40分で帰りの時間を気にしつつ街中へ歩き始めると、Police に呼び止められOfficeに連れ込まれた。そこでKursunluに来た訳(明日我々仲間5人の宿探 し)を話すと、署長以下数人のPoliceが我々を大歓迎で迎えてくれて、定番のチャイのサー ビスあり、又、英語の話せるPolice.Akgdn yavuzと平林がすっかり意気投合し、明日の宿は 全く心配ないので我々(Police)に任せろとのことになった。その後Policeの車で国道迄 送られ、PoliceがISTANBUL行きの高速バスを止め我々を乗せ見送りをしてくれた。
Kursunluに日本人が訪れる等はめったにないこととは思うが、親切なトルコ人やPolice の気持ちの温かさを自分の肌で実感したのは初めてである。トラックの運転手とPolice に感謝!感謝!感謝!。お蔭様でホテルヘ帰還したのは15時10分。
交通事情:GEREDEまではISTANBULからANKARA迄のトルコの大動脈に当たる道路故、交通量 は非常に多いが、GEREDEからKursunlu方面へは交通量がガタ滅べりになるので、要注意。


6月7日:快晴
YenikoyからKursunlu迄全装備携帯3班に別れて走行予定を交通事情を勘案 し、ホテルから全員タクシー(約150キロを120百万TL約11千円)にてKursunluに向かう。
ホテル発8時05分Kursunlu着10時15分。Police・Officeに立ち寄り、Policeの案内でHOTEL BELEDiYESi(2泊1人14TL約1.250円但我々の都合で1泊となり1泊分の宿泊費は戻らず)とな る。昼食後YenikoyからKursunluまでを、土屋.石塚.新井.諸岡で分担し完歩、平林は休養。 Kursunluは全くの田舎荷で、宿泊費、食費、果物(スイカ.サクランボ他)、その他の物価は安 かった。
<メンバー;左から 石塚、土屋、平林、諸岡、新井>


6月8日:快晴
 今日は35.36.37区間を完走後の休養日としKursunluの温泉でゆっくりと 体調回復に努める予定であったが、温泉はKursunlu市街から4〜5キロ離れておりバス便も なく、明日の予定してるSafranboluへのバス便も不便であることを勘案し、予定を変更し 今日の16時55分発のSafranbolu方面行のバスでKursunluを離れることにした。
唯、当日はKursunluとしては大イベントの軍楽隊の行進があり、赤い制服を着た十数人 の元軍人らしき老兵達が行進曲等を演奏しながらホテルの前の広場に集合しセレモニー を披露した。Kursunluの町中の人々が集まり(少しオーバーかな)軍楽隊を歓迎していた。  しかし、集まったのは男の老人と子供達ばかりで、若い人や女性はあまり見当たらなかっ た。最後に町長らしき人物の挨拶で終了し、軍楽隊は街を去った。
我々は偶然とは言え田舎町のイベントを街の人達と共に楽しめたのは幸いだった。
KursunluからKARABUK経由Safranboluに着たのは、20時頃で当日は土曜日、且つ、Safranb oluは観光地の為ホテルは満員で、明日予定のKADIGLU・HOTELの別館に強引に頼み込んだ。


6月9日:快晴
Safranbolu市内観光 旧市街は坂の多い街で、当日は日曜日故午前中は 観光客で賑わっていたが、午後になるにしたがって人影は少なくなってくる。唯、観光地故 かトルコにきて2人目の日本人(カメラを肩にした若い女性)に出会う。中年の女性にも出会 ったとか。(私は見かけなかったのだが)その後、平林.石塚.新井の諸兄はトルコの本格的 なハマムで新たな思い出を残す。


6月10日:快晴
石塚はISTANBUL経由成田へ帰国の途へ、残り4人はFatsaへの移動日
7時30分タクシーでSafranboluの新市術のオトガルヘ、石塚は8時20分発のバスでISTANBUL へ、4人組は8時発のANKARA行のバスに乗る予定だったが満員で9時発でANKARAに向かう。
AYKARAのバスターミナルで偶然に一人旅の竹山氏と再会、お互いに旅の安全を誓い合う。 13時30分発のSAMSUN行のバスに乗り、SAMSUNで乗り縦ぎFatsaに着いたのは23時30分、そこ でタクシーを拾いYALCIN.Hotelに着いたのは23時55分と約15時間のバス旅が終わる。
本来、SafranboluからSAMSUNへはKASTAMONU経由か、Geredeに一旦もどりGeredeからとの 経路が距離的に可成近いのだがバスの時刻が不明の為、時間的なロスを見込みつつ確実 なANKARA経由の方法を選択した。我々の宿泊したYALCIN・Hotelは日本でも超一流として 通用すると思われる立派なリゾート・ホテルであった。今回の旅では最高の宿であったが、 夜遅くに着き翌朝に去る為滞在時間が短くリゾート・ライフを満喫出来ず残念であった。

6月11日:快晴
Yalikoyまで全装備携帯で歩行後ORDUへの予定を変更し、ORDUへ直行す。
ホテルを10時頃タクシーでFatsaのバス停へ、バスでORDUのオトガルヘ、そこで宿探しし ORDUの市街の中心地にあるHotel・KERVANSARAY(一人一泊約千円)を紹介される。オトガルか らHotelまでタクシーでHotelについたのは12時頃。市内観光後、全員ハマムで汗を流す。
昼食に立ち寄ったビールの飲めるRESTAURANTでは、3年程日本の岐阜で働いたことがある と言う従業員が出て来て我々を歓迎して呉れ、タクシーを利用すれば約2千円程かかるORDU の展望台(ボステベ山)に、彼の車で案内して呉れる等のサービスを受ける。又、RESTAURANT のオーナーも親しみをもって我々に応対するサービス振りに感激し、明日の夕食(18時)に 再訪を約す。ORDUは、黒海に面し地上には緑も多く気候も温暖の様で、海の幸、陸の恵みも 豊富で生活環境に恵まれた地区と思われ、落ち着きと品格を感ずる都市として印象に残る

6月12日:快晴
FatsaからPersembe迄を土屋.新井で出会い方式、PersembeからORDU迄を平 林.諸岡で歩くことになる。
ホテルを7時30分に出てFatsa方面行のバスに乗り、平林.諸岡はPersembeで降り、8時25分 からORDUに向かう。途中茶屋で休憩後、RESTAURANTの前で道をそれて黒海の浜辺で素晴らし い景色を、清々しい潮風を一身に受け眺めていると、RESTAURANTのオーナーの息子らしき 二人の若者が来て、no moneyでいいからRESTAURANTにきてチャイを飲めとの誘いをうける。
丁度昼食時の12時前だったので、昼食を兼ねそのRESTAURANTに入ることにする。
魚料理を特注し、野菜サラダ、アメリカン・サラダ(トルコではポテト・サラダをアメリカン ・サラダと言う)、チャイ等で豪華な昼食をする。(二人で7百万リラ約630円)当然歓待を受け た。その後、港で漁船が並ぶ風景を眺めたりし、ブラブラと歩きながらホテルに向かう途中 土屋.新井組に合流し15時5分にホテルに到着す。
夕食は昨日約束のRESTAURANTで、特注の魚料理やサラダ、ビール、ワインとデラックス版 ホスト役に日本語の話せる昨日の従業員とオーナーが付き、大歓迎のサービスに満足す。 途中からオーナー自慢の息子(12歳)が参加し、平林と英会話の実践教育で息子もオーナ ーも大満足の様子。オーナーが自慢するだけあって優秀な息子だった。
更に、お土産にVARMARAビールの宣伝用のTシャツとヘーゼルナッ等を戴く。

6月13日:曇り、晴れ、時々雨の変わりやすい天気
ORDUからGIRESUN迄四人で分担歩行す。
ORDUからGulyali迄諸岡.PirazizからGulyali迄平林.PirazizからGIRESUNまでを土屋 新井の出会い方式となる。
lO時にホテルを出て諸岡はGulyaliに向い、他の三人はGIRESUN方面行のバスで出発する。
諸岡は雨雲に追われながら歩くも、途中雨に会い休憩しつつGulyaliに14時40分に到着。
到着と同時に雨足が強くなり休憩していると親切な人が、携帯電話で日本語の話せる人 を呼び寄せて呉れる。5分後に彼(9年間春日井市の近辺で働いたことのある)が現れ、バス 停の前で彼の経営するチャイ屋でチャイを戴きながら日本の思い出話を聞く。その彼は 平林と既に会い我々の事を聞いており、平林は彼の家に招かれ昼食等の接待を受けた由。  Culyaliを15時発のバスにてORDUに戻りホテルに15時30分に着く。土屋.新井も略同時刻 にホテルに到着。夕食はORDUで一番と思われる海浜RESTAURANTで、35.36.37.43区間完走 を祝って乾杯し、ORDU最後の夜を夕景を眺めつつ盛大に楽しんだ。

6月14日:晴れたり、曇ったりの天気
今回の旅の最大の目的を果たした晴れ晴れ気分で ORDUからGIRESUNにバスで移動す。ホテルは市術中心地のHOTEL・CARIKCIとする。  GIRESUNはサクランボの産地として有名で、日本の寒河江市と姉妹都市となっており日本 との交流があるとのことで、我々を親しみをもって迎えて呉れた。坂が多いがORDU同様に 品格を感ずる街である。夕食は屋上RESTAURANTで連日の豪華版。

6月15日:快晴
各人自由行動とする。ただし夕食は共に。
 日中全員自由行動だが、結果的には黒海の内海とは思えない果てしなく続く水平線をノ ンビリと眺める休養日となる。夕食はGIRESUNで一番のホテル、Basar7階(最上階)の RESTAURANTでGIRESUN湾の西方に沈む素晴らしい夕日の光景を堪能しつつの豪華版。


6月16日:快晴
GIRESUNからTRABZONへの移動日。TRABZONも坂の多い街。
GIRESUNを11時発のバスでTRABZONへ向かい、TRABZONでは日本人に好評の市街の中心地 にあるHOTEL・USTAに13時30分着、その後市内観光し、海辺の海鮮市場でカラスミを生産中の 業者を見付、試食を兼ね少々仕入れる。ホテルに帰還後ビールのツマミに試食、味は最高。 夕食は、土屋が食欲不振とのことで、平林.新井.諸岡で簡単に済ませる。

6月17日:市街は晴れ、TRABZONの最大の観光ポイントのスメラ僧院は小雨
TRABZON市街から約46キロ離れたスメラ僧院下迄タクシーで、そこからスメラ僧院を往復 2時間の猶予でTRABZONに帰る。(タクシーの料金US$50)ホテル発9時30分ホテル帰着12時25 分。 スメラ僧院では日本人のアベックに会い、今回の旅では4人目の日本人である。
午後はアヤソヒイヤとアタチュクル・ハウス等観光後、昨日の海鮮市場のカラスミ業者で カラスミをがっぱりと仕入れる。(カラスミの値段は税密)夕食はナターシャが4〜5人たむろ するナイト・クラブ風のレストランでビールと魚料理でTRABZONの夜を惜しみつつ楽しむ。

6月18日:晴れ
TRABZON発19噂20分を変更し9時40分発の飛行機でISTANBULへ。
ISTANBUL空港に11時10分に着いたとき、スチワーデスからトルコ対日本のサッカーは1対0 で日本が敗れるとの結果を知らされる。
空港からタクシーでHOTEL・GRANDANKAに着いたのは12時。 ホテルで一休み後12時30分にバスでタクシム広場に向かうが、途中トルコのサッカ 一ファン(サポーター)がトルコの勝利を祝う大ヒィーバーに会い、バス・車は大渋滞街中 大騒ぎ、その中を歩いてDORAK社に旅の無事終了報告の挨拶で訪問する。
<右写真;トルコ勝利に関してのインタビューを受ける「日本は強かったが、トルコがちょっぴり上を行っていたネ・・・」>
その後市内散歩し、最後にエドちゃんの店に寄りホテルに帰る。
夕食は土屋の案内で中華料理街で。


6月19日:快晴
 市内観光。
ブルーモスク、アヤソヒィヤ、トプカプ宮殿、地下宮殿、グランド・バザールとメインの観光 スポットを見学し、ホテルに戻る。
トルコ最後の夕食は、昨日同様、土屋の案内で海浜RESTAURANT街で、海辺の夕景を見送り つつ豪華な魚料理にビールとワインのお定まりのコースとなる。ISTANBULは今までの地方 都市とは違い物価は高めで総額17千万リラ(一人平均4千円弱)。
6月20日:快晴
午前中市内観光し、ISTANBUL17時30分発の飛行機で成田へ。
エミノニュからウスキュダルへシー・バスで往復し、ボスボラス海峡からガラタ橋やアク チュクル橋、ISTANBULの新・旧市術の眺めは船ならではの景観であった。最後にエドちゃん の店に寄りお土産品を仕入れてホテルに戻る。ホテルの近くのRESTAURANTで昼食後、タクシ ーで空港に向かい予定の3時前に着き、免税店で最後の買い物をしビールを飲み飛行機の 出発時間を待つ。飛行機は予定時間に出発し、日本人に優しく、親切なトルコよサヨウナラ。

6月21日:曇り
 飛行機は予定時刻の11噂10分に成田に到着。トルコヘの長旅は終わる。
各人荷物を引き取り解散となる。本来ならば空港内RESTAURANTで昼食を兼ねた解散式を したかったのだが、各人とも荷物が多く持ち歩けず取りやめとなる。

<追記>
1.天候.交通事情.宿.歩行中の出来事.風景.食事.お世話戴いたトルコの人々について、も っと具体的に記録に残したかったのだが、他の人に余計な手間を掛けるのも悪いと思い、又 、私の長々とした駄文を綴るのも如何なものかと思い止めた。唯、これだけは是非記録に残 したいものがあれば追加して戴きたい。

2.文中の時間については、一部記録がなく記憶を辿った部分があり、正確でない部分もあ るかと思いますが悪しからず。

3.本来ならば、私が歩いた所以外の記録も加えるべきかと思いますが集約に手間と時間が  かかり省略しました。各人が与えられた区間を特別問題なく完走したと確信してる。  唯、必要があれば追加戴きたい。

4.本来ならば、走行距離も記録すべさであるが、計画書に記入されており特段の違いもな  いものと思い省略した。

 最後に、土屋リーダーのもと参加者全員の協力と協調で予定の目的を果たすことが出来  たのも、森事務局長始め会員各位のバックアップがあればこそと感謝申し上げます。