グルジア | 戻る |
1.計画コース概要 | ||||||
地域分類 | 中央アジア | 区間番号 | 47〜52 | |||
国名 | グルジア( GEOGIA) | 実施時期 | 2000.9.3〜9.18 | |||
計画区間 | SARPI〜TSODNA | 歩行者 | 6名 | |||
2.メンバー表 | ||||||
No | 役割・分担 | 氏 名 | 備 考 | |||
1 | リーダー | 石塚 正太郎 | 5期 | |||
2 | 記録 | 安藤 潔 | 7期 | |||
3 | 和田 航一 | 3期 | ||||
4 | 会計 | 新井 清 | 5期 | |||
5 | ビデオ | 荒井 龍男 | 8期 | |||
6 | --- | 土屋 淳一 | 3期 | |||
* | 添乗・通訳 | オーレグ | トーメン//アゼル現地社員 | |||
3.行き・帰り | ||||||
出発日 | 出発 | 到着 | 便名 | |||
往路 | 00.09.03 | 成田 | イスタンブール | TK1023/トルコ航空 | ||
復路 | 00.09.18 | イスタンブール | 成田 | TK1018/トルコ航空 | ||
4.現地/アゼルバイジャヤンの活動 | ||||||
滞在日 | 年月日 | 出発〜到着 | 区間距離 | 天候 | 宿泊 | |
1 | 00.09.05 | トルコとの国境Sarpi〜Batumi | 15km | 晴 | Batumi泊 | |
2 | 00.09.06 | Batumi〜Ureki〜Lesa | 75km | 晴 | Ureki泊 | |
3 | 00.09.07 | Lesa〜Kutaisi〜Terjora | 96km | 晴 | 土屋/荒井/安藤/石塚・新井、ナビ;和田 | |
4 | 00.09.08 | Terjiola〜Zestaponi〜Khasuri | 83 km | 晴 | Borjomi泊 | |
5 | 00.09.09 | 休養日 | Borjomi泊 | |||
6 | 00.09.10 | Khasuri〜Gori〜Kaspi | 87 km | 曇 | Gori泊 | |
7 | 00.09.11 | Kaspi〜Tbilisi〜Sasgaredzo | 81 km | 晴 | Tbilisi泊 | |
8 | 00.09.12 | Sasgaredzo〜Vardisubani | 81 km | 晴 | Tbilisi泊 | |
9 | 00.09.13 | Vardisubani〜Tsodna(アゼル国境) | 27 km | 晴 | Tbilisi泊 | |
歩行距離 計 | 545 km | |||||
5.区間コース | ||||||
5.記録 新井(5期) |
ここからホテルまで15km、歩くのは土屋氏、石塚氏、安藤氏の3人。ギアは歩く3人に車で伴走する。
残りの3人はユーリの車でオレッグと一足先にホテルへ行く事にする。 3:50 国境を後にする(時差がトルコと2時間あり)。道路はトルコ側より若干悪い様だがそれほどでもない。黒海沿いに走ると、途中海水浴の姿を散見する。国境より4km先のレストランで遅い昼食をとる事にしたが言葉が全く通ぜず往生する。オレッグ氏に手伝ってもらい結局、美味しい赤ワイン(AKHASHENI
26ラリ、約500円)とトマトサラダ、チーズで前途を祝す。 ホテルはL−VAKURI。こじんまりとしてこぎれいなホテルだ。部屋の中はマアマアだが、バスタブには栓が無く湯温も低い。 夕食はホテルの食堂で全員一緒に取る。 <写真>グルジア〜トルコ国境 グルジア側から |
11:20 Kobuleti駅。比較的大きな町へ出た。この手前で1人の若者が英語で話しかけてきた。
ドイツで法律を学んでいる由。住宅の間を抜けて1本左側の黒海沿の道に入る。 海岸ではかなりの人達が海水浴を楽しんでいた。 海岸沿にはかなりのレストランが並んでおり、中にはヤシの葉を編んだような小屋も有り、トロピカルな感じを出している物も有る。そんな中の1軒で昼食をとる。ビールは通じたがその他はまるで通じず、ついに料理の材料を持ってきてくれ、手振り身振りで何とか注文をして食べる事が出来た。 Koboletiを出ると今日2回目の検問有り。特に問題なく通過。ここまでは比較的立派な並木道で木陰を歩く事が出来たが,これから先は滑走路のような道を汗をダラダラ流しながら歩く羽目となる。右側は畑が続き、左側は低い潅木が有りその奥は時折農家が有るようだが見通しは利かない。大型バスや乗用車が時折疾走して行く。 17:00漸く今日の終点Urekiへの分岐点に到着。背中のザックは白く塩を吹いている。ここから車で黒海沿いの宿へ運んでもらう。 宿は松林の中に貸し別荘のような形で、2階建ての建物が何軒か離れて建っている。その内の一軒が今夜の我々の宿泊場所となる。建物から10メートルほどの所が海岸で、プライベートビーチのようになっている。そこでは数パーティーが海水浴を楽しんでいた。日もまだ高いので我々も汗を流す事を兼ねて海水浴を楽しむ。水はさほど冷たくなくやはり少し塩っぱい味がした。 借りてきた通信衛星利用の携帯電話を東京にかけるが上手く通じない。 20:10 夕食は別棟の食堂で取る。夜中に雷雨があった。 |
16:30 Kutaisiへの入口の川(25km走破)。ここより残り2kmの道は石畳の上り坂となりとてもきつい。17:00 坂の上の教会に汗びっしょりで到着、漸く終了。車でホテルに向かう。 17:10ゲストハウス着。他の人達は既に到着していた。こじんまりした2階建ての屋敷といった感じの宿で、 入口はブドウ棚になっている。きょうの夕食はギア氏宅に招待された。 20:30 ギア宅は2階建ての立派な邸宅で彼はこの地では上流階級に属しているようだ。 玄関には美人の奥さんも出迎えてくれる。食堂は20畳くらいの広さで立派なシャンデリアが懸っている。 ピアノもあり、本箱には何やら立派な装丁の本も並んでいる。テーブルには手作りのご馳走が一杯並んでいたが今日は昼間の疲れで食欲が無い。 帰り際に可愛らしい息子と、娘も出てきて皆で記念写真をとり、22時に辞す。 今朝、出発前に携帯電話会社に連絡が取れ新しいエリアコードを聞いて各班毎の連絡を試みるもやはり通話できず。 ネットワークが無いとの表示が出る。地上局が無いと言う事か。 |
18:30 Bordzomi到着。高い鉄の柵で囲まれており、ガードマンがその都度門を開けて入れてくれる。 昔はサナトリウムと言って貴族の保養地で広大な敷地に中に建物が点在している。路で会う人達は手にボトルを持ちゆっくりと歩いている。 有名な鉱泉を汲みに行くらしい。後で飲んでみると生暖かくあまり美味しくない。宿舎は1892〜1895年に作られた2階建ての 立派な建物でパレスと案内の女性は言っている。流暢な英語で色々説明してくれる。 スターリンも泊ったとか言っていたが外見は立派だが内装は派手な色使いで決して上品とは言えない。1人1泊食事付きで$64程。 オレッグ氏達3人は別棟だった。我々の建物の近くにシュワルナゼ大統領の別荘が有り銃を持ったガードマンが寄せ付けない。 明日は休養日なので2晩ここに泊ると思うと何となくのんびりとする。 食事は大食堂でとるがアルコール類は一切無い。 夕食はパン、ハンバーグ、オムレツ、それにおじや風ご飯は果物入りの味がして糊みたいで非常にまずい。 飲み物は紅茶。料理はあまり美味しくなかったので翌日の昼は外でとる事にした。 夜は石塚氏がわざわざ外出して買ってきたビールとワイン、スイカで楽しむ。 <写真;元ロシア皇帝の別荘、スターリンも利用したという。我々も2泊した> |
13:05 トビリシ市街地への道を避け左バクー方面へのバイパスへ入る。途端に車がこなくなり静かになった。 右下遠くに首都トビリシの町が見える。かなりの高層アパート群があるが薄汚れて汚い。 日差しはきつく、その上迎え風となりばて気味になってきた。また、足のマメが痛い。 分岐から間もなく小さな街並みを通過するが、その後は左に低山を見、右には市街地に続く畑となる。 だらだらした登りが有り、それから路は右にカーブし、また左に曲がっている。その辺りが今日の終点と思われるが、非常に暑い。 16:30 13kpで石塚、土屋組の出迎えを受ける。二人が既に1km余分に歩いて来ているとは何と速いのだろう。 早速車に乗り今歩いてきた道をA―301の合流点まで戻りトビリシのホテルへと向かう。 さすがに首都だけ有って大きなビルが立ち並んでいる。 ホテルはムーザ(母の意)の銅像が有る円形の体育館のような建物の前にあった。 ホテルの名前はMUZA、3階建てのこぎれいなホテルだ。 当初の予定では安全面から当地で一番良いホテルを手当していたが1泊132ドルと非常に高いので変えてもらった。 ちなみにMUZAは相部屋で1人$37.5。部屋は3階で表通りに面していて特に問題はなかった。 ただ、お湯の量が少なくシャワーしか使えなかったのは残念だった。 20:30 夕食は近くのレストランでとる。明日から先はホテルが無くここより毎日通う事になる。 今日も各班間の電話連絡は出来ず。 |
9:50 出発。今日は最終日なので全員で歩く事になり、車はトヨタハイエース1台に全員が乗り込む。 11:00 第1班、133kpから和田、荒井、オレッグで12km。 11:15 第2班145kpから。初めて土屋さんと歩く。土屋さんも速い。初めの内は正面にコーカサス山脈の南の端の山々が見える。 一部頂が白く光っているのが見えるが、雪でなく岩が光っているようだ。 1時間程でT字路。両脇の民家はLagodehi村か。角の店で色んな木の実を売っていた。ちょっと顔を突っ込む。 民家の造りは殆ど同じだが中には立派なお屋敷もある。貧富の差が拡大しているようだ。 T字路より道は右折し南下する。途中土屋さん子供達に囲まれる。 13:25 川を越えた所で終了。当初、各班12km歩く予定であったが残りの距離が短い事が分かり、2班は10kmで終わり、 3班は5kmと短縮された。車を待つ間に小学生らしき男の子と英語でしゃべる。学校がトビリシまでとかなりの遠距離通学で驚く。 ここから車で国境のそばまで移動する。 |
14:00 国境。 100m程手前から全員でゲートまで歩く。許しを得て税関前で写真をとる。 トルコ側と異なりそれほど重々しい雰囲気はなく往来もあまり無いのか静かな国境だった。趣旨を話し職員にサインを貰う。 14:30 少し戻った所で遅い昼食をとる。成功を祝し生ビールで乾杯。焼き肉が美味しい。帰りの車では殆ど全員が居眠りをする。 全行程無事に終了し安堵感が車内に漂う。 18:00ホテル帰着。 19:00 川沿いのレストランで夕食。 フライドポテト、マッシュルームのクリーム煮、ステーキを頼んだが、出来たステーキは薄い肉のから揚げのような物で唖然とした。 これで75$ということなので二度驚く。今日でユーリ運転手ともお別れとなるのでチャーター料を清算し、チップとして30$払う。 とてもいいおじさんだったと感謝する。 オレッグとギアはモスクワからボスが来るとの事で空港に迎えに行き、我々だけでホテルに帰る。 ホテルでユーリと別れる。一人一人抱き合って別れの挨拶をする。彼の家はKutaisi、明朝帰る由。 ホテル近くのスーパーでワインとオレンジを買う。赤5ラリ、白6ラリ、オレンジ6個1.7ラリとは安い。ホテルで再度祝杯をあげる。 |
6.見聞録 |
7.人々との交流の記録録 |