横贯两大陆    中国その2 戻る 
 1.計画コース概要
地域分類  中国 区間番号  85~88
国名  中国 実施時期  2005.09.24~10.01~10.07
計画区間

乌鲁木齐(ウルムチ)西~哈密(ハミ)西

歩行者  8/6名
  2.メンバー表
No 役割・分担
 氏  名
グループ 備  考
1
隊長
 跡部 輝彦    6期
2
***
 平林 功男    4期
3
***
 土屋 淳一    4期
4
***
 結城 皖曠    大阪府立大ワンゲルOB
5
記録
 宇賀村 充和    9期
6
会計
 森 正昭    9期
7
***
 斎藤 篤二    6期/前半参加
8 ***
 住山 茂    12期/前半参加
 3.行き・帰り
  出発 到着 便名
往路 05.09.24  成田   西安   MU272/中国東方航空
 西安  乌鲁木齐(ウルムチ)  HU7827/海南航空
復路1 05.10.01  乌鲁木齐(ウルムチ)  西安  HU7346/海南航空 (斉藤・住山)
 西安  成田  MU271/中国東方航空  (斉藤・住山)
復路2 05.10.06  敦煌  西安  MU2153/中国東方航空
05.10.06  西安  成田   MU271/中国国際航空
 4.歩行の記録 宇賀村 充和(9期)
滞在日
年月日
出発~到着 区間距離 天候 宿泊
1
05.09.24(土) 北京で入国手続き後、西安経由でウルムチへ。 *** 屯河華美達大酒店
2
05.09.25 昨夜遅く、また全員がスタート地点に行くので、各Gr18㎞
の対面歩行となり、ウルムチ市入口まで。
72㎞ 快晴 屯河華美達大酒店
3
05.09.26 ウルムチ市内の歩行をやめ、市の南のウルムチ駅から歩き、
逢坂城区まで。途中300基以上の風力発電設備あり、壮観。
95㎞ 屯河華美達大酒店
4
05.09.27 荒野の中の舗装道路を快調に歩く予定が、中央政府の高官の
視察が通るため回り道させられて苦労したパーティあり。
トルファン市を超える。
90㎞ 吐鲁番賓館
5
05.09.28 火焔山の南を通り、ピチャンへ。曇で歩き易い。 85㎞ 吐鲁番賓館
6
05.09.29 休養を兼ねた観光。ベゼクリク千仏洞、高昌故城、交河故城、
カレーズ・アスタナ古墳を見る。
*** 快晴 吐鲁番賓館
7
05.09.30 道は荒野の中を行き、人家は殆ど無い。しかし、大型のトラック
は頻繁に走っていく。
75㎞ 西遊酒店
8
05.10.01 宇賀村が足を痛め歩けないので、一人ずつ歩き距離を稼ぐ。
ただ全体の距離が伸びるので、安全のため各人15㎞で歩き、
完了後歩きを追加した。
87㎞ 西遊酒店
9
05.10.02 昨日と同じく荒野の中の道となる。更にアップダウンもあり、
ただひたすら歩きに徹するしかない。
83㎞ 快晴 哈密电力賓館
10
05.10.03 ハミに近づき平坦な道になるが道のそばには人家が無い。 35㎞ 快晴 哈密电力賓館
11
05.10.04 敦煌へ車で移動する。来春の歩く道をひたすら走る。ここも
歩きに徹していける道でした。
*** 敦煌山荘
12
05.10.05 敦煌観光。莫高窟、鳴沙山、月牙泉、を見る。 *** 敦煌山荘
13
05.10.06 空港に車で送ってもらい、通訳の朱さん、運転手の王さんと
別れる。彼らは車を飛ばし、ウルムチへ戻るそうです。
*** 快晴 西安賓館
14
05.10.07 西安からの国内線は満席でしたが、北京で国際線になると空いて
いました。無事、成田に戻り、今回の歩行は終了しました。
*** ---  ---
   
歩行距離合計
622㎞    
 
 5.概要 跡部輝彦 (6期)
<スタート地点>
2005年5月の終点はフトビから国道312号に入るジャンクションの先、数百Mの立体交差の上で、4244と4243kmのポストの中間と聞いており、 ガイドに確認したら「運転手が熟知している」とのことだったが、案の定、通り過ぎて、結城さんが停止と逆行を命じる状態であった。

<コースの前半>
今回は、前半は8名、後半は6名なので、前半で計画書より距離を稼げた。 しかし、初日は遅い到着でもあったので、距離を短くした。ウルムチとトルフアンの中間の峠を越えると風景は一転し、砂漠の中となる。 強い追い風。峠は西からは高度差があまり感じられない。

<コースの中盤>
トルフアンからピチャン(蒲昌){中国の現在の地図では?善Shan Shan}まではオアシスを繋ぐ心地よい道が続く。

<コースの後半>
2名がトルフアンから帰国したので、6名となり、さらにアキレス腱炎で1名が歩行困難となった。 道路がはっきりしており、ほとんど砂漠の中なので、5名をそれぞれ単独行とする。
個人の距離はやや短くし、出会い方式でPick-upの時間短縮。この方式は今回のように恵まれた場合に限るべきだろう。

<終着点>
哈蜜(ハミ)の手前40km前後に格好の目標を見出しそれを今回の終点とした。 すなわち、3623km地点で「二堡収費站」という国道通行料徴収ゲートである。 ここから、哈蜜までは40km程度である。

<写真 スタート点に勢ぞろい、左から>
  平林、宇賀村、跡部、斉藤、住山、結城、土屋、森

   スタート地・ウルムチ西、国道上 (その1の終点)
 6.見聞録
 6.1ルートの状況  跡部 輝彦(6期)
312号線を歩き始めて、ガソリン・スタンドの多さに驚く。 古い設備を改修したものもあるが、中国石油が新しくGSを建設している。 中には石化公司のGSもあり、1-2km毎に1軒という状況。 これは、需給関係というよりは、新彊ウイグルの少数民族問題緩和策としての公共投資の一環であろう。

携帯電話は、ウルムチとトルフアンの間の峠付近以外ではすべて使用可能であった。 無線アンテナの鉄塔が砂漠の中にも立てられている。

道路は一部で高速道路に飲み込まれて312号線が消滅している部分もあったが、2箇所の工事区間以外はキロポストも完備している。

最高気温は34度、最低は9度。日較差は15度前後。地図は三省堂で売り出されたばかりの「新彊ウイグル自治区」(1/2,250,000)とTPC F-7D(1/500,000)を併用した。

Google Mapも使えるが、縮尺を読み取るのに技術を要する。昼食はオアシスの村を通過する場合にのみ可能性があった。

 国道・312号線 立派な舗装がされている。  国道も有料というのが良く分からない。

 立派なガソリンスタンド、売店やトイレがあり、 サービスエリアのような機能を果たしている。
 6.2 自然環境  結城 皖曠(ゆうききよひろ 大阪府立大ワンゲルOB )
 中国西部2歩行では、第一日目はフトビからウルムチまで歩いた。 天山北路のこの地域は天山の雪解け水で灌漑が行きわたる広大な 畑作地帯である。
1km余りの長い畝の続く綿畑、トウモロコシ畑がポプラの木で 区切られて延々と広がっている。 時々それが広大な葡萄畑であったり する。夏場のトマトの収穫の名残が道端に散乱する赤い実で見ることができる。

 収穫期を迎えた綿花畑では一族総出で綿摘みに励む人々が見られる。 昼間も休まず働いて、夕方までに荷車やトラックに満載して加工工場に 運び、いい値段での引き取りの順番を待つ荷車の長い列が見られる。
トウモロコシ、葡萄、その他野菜類もよく育っているようである。

  ウルムチを過ぎると風景は一変する。天山山脈の切れ目を縫って草木もなく赤茶けた土と岩で囲まれた谷を 雪解け水が南に流れていく。
 谷間は時に狭くなり広くなりして南の砂漠地帯、トルファン盆地に 向かって流れていく。トルファン盆地は海抜ゼロメートル以下の低地で 古くからの天山北路と南路の合流地点にあたる東西交流の要所である。

 水は天山北路の広々とした砂漠地帯に流れ、幾ばくかの緑の農耕地 を潤して、何処とは無しに荒れ地の中にその流れは伏流し、また 消えていく。

 天山北路では天山の雪解け水の水脈の現れる所が、そびえ立つ ポプラの木に囲まれた農耕地、即ちオアシスである。 それ以外の大部分の地面は土の中に砂利がむき出しになった広い 河原のような荒れ地の連続で、駱駝しか食べないという棘のある 駱駝草が所々に生えているだけである。
 おそらく強い風で細かな砂はことごとくどこかに飛ばされてしまった のではないかと思われる。年間降雨量約20mmでそれも6月から8月の 間に湿る程度に降るだけだそうである。

 トルファンの近くに国道の北側に100kmにわたって続く不毛の 山並み、火焔山が東西に長く続いている。西遊記の孫悟空の話でも 有名な山である。山肌は赤茶けて、 朝日、夕日の当たるとき、 山襞が火炎に包まれるように見える。火焔山にも切れ目があり、その間を天山の水が北から南に流れる。
 その途中、火焔山の中にベゼクリク千佛洞の遺跡がある。千佛洞の できる場所の条件は、洞窟を掘れる山の壁があり、 近くに生活できる 水の得られる場所であることだそうである。

流れに沿ったオアシスのはずれに高昌故城、また別の河の合流点に 交河故城の遺跡がある。乾燥煉瓦を積んで作られた城壁、建物跡は、 長い年月の風(雨は降らない)にさらされ崩れかかっているが、 かつて西域の守りの拠点であったところで、玄奘三蔵も立ち寄っている。

 水脈のある所即ちオアシス地帯では、秋には葡萄、ハミ瓜、スイカ、 ナツメ、ザクロ、リンゴ、梨、杏、等の甘くておいしい果物が多く 採れる。 また、政府が奨励して組織的に買い取ってくれると言う 綿花の栽培も盛んである。

 天山北路の水のない荒れ地にも石油が少し出るようで、石油掘削の 大きなシーソーのようなポンプが散在し、ゆっくり動いているのが 見える。 葡萄畑や綿畑の中にもぽつりぽつりと石油くみ上げポンプが 見られる。埋蔵量は多くないようで、ポンプの設置密度も極めて低い。

 また、荒れ地を西から東に吹き抜ける風の通り道一帯を利用して風力発電を行う巨大な3枚羽根を持つ風車が約300機余り設置されて いるところもある。年間を通して一方向の強い風が吹き続けている ことが伺われる。新彊ウイグル自治区の開発の勢いが感じられる。
 資源開発、都市開発、観光開発、鉄道敷設、道路建設などのために、 エネルギーの現地調達に大きな役割を期待されていること思われる。

 荒れ地の続く砂漠地帯に、石油の他に石炭、鉄鉱石の露天掘り鉱山 もあるようで、石炭、鉄鉱石を満載した大型トラックが頻繁に行き交う。

 ハミを過ぎても荒れ地は延々と果てしなく続く。荒れ地の果てに たどり着く敦煌は、砂漠の中のオアシスであるが、空港も備えた 一大観光拠点でもある。 敦煌に続く砂漠の道で有るはずのない湖 が行く手の砂漠の中に見えた。逃げ水か蜃気楼であることは、近づくと 無くなり、 またさらに遠くに湖が見えることでわかる。

敦煌にある鳴砂山は細かい砂でできた山で、ようやく砂漠らしい 砂漠に巡り会えた感じである。観光用の駱駝に乗って夕焼けの砂山を 往復し、 また、砂山の谷間に湧き出る月牙泉なる泉に足を踏み入れる のは、日本人の砂漠とオアシス、「月の砂漠」の歌のロマンを感じ させてくれるものである。
ここの莫高窟の壁画や仏像は、日本の古墳や正倉院のルーツを 見るようで、平山郁夫や井上靖でなくとも感激無しには見られない 素晴らしいものである。 紅衛兵の侵入を阻止して破壊から護った という周恩来に感謝したい気持ちである。

国道312号線は、荒れ地の中を更に東に続く。中国西部3歩行では ハミの手前から敦煌への分岐、安西、陽関、玉門関、酒仙へと歩き、 万里の長城に巡り会えるあたりまで進むことになる。
その間の自然環境の変化がまた楽しみであり、唐の時代の有名な 漢詩に歌われている地名や風物にも多く出会えることと思われる。

中国の万里の長城に護られた中原と、異民族の跋扈する西域との 自然環境の違い、生活の違い、民族の違い、それに関わる歴史の流れを 感じ取りつつ歩ければ、より一層味わい深い自分だけのシルクロードを 胸に刻むことができると思われる。


   綿花摘みの人々



   河原のような礫砂漠


  朝日に赤く燃える火焔山


  
油井のポンプが点在している
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

  通訳の朱さんの説明によると、新疆の疆の字は”三山ニ盆”を意味するという。
三山は”つくり”の一という字で示され、北からアルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈に対応する。 ニ盆は二つの田という字で示され、北のジュンガル盆地とタクラマカン砂漠のあるタリム盆地に対応するとの事。
左の偏は、弓と土で、中央アジアとの境を示しているそうだ。 (森 正昭)

天山山脈の雪解け水が、緑のオアシスを作る。

小石混じりの烈風は電柱も削ってしまう。
だから鉄板を巻いてある。うそだろう!?

道端のキロポストの風上側は、セメントが削られ砂利がむき出しだった。

一年中吹き付ける強風が、巨大な風車を回す。
  6.3人々の生活  森 正昭(9期)
 新疆ウイグルの区都、ウルムチは大都会である。地球の歩き方によると人口161万人とある。
 国道312号線沿いには、トラックや乗用車、農業機械の修理屋、タイヤ屋、電気関係の修理屋など並び、故障したら修理して使うという、日本で忘れかけた光景が続く。 オート三輪車が、ダッツ・ダッツという懐かしいエンジン音を響かせて活躍していた。耕運機も、後ろにキャリアをつなぎ、綿花や野菜を運んでいた。ウズベキスタンやカザフスタンなどに比べると、車の台数は圧倒i的に多く、しかも道端で故障している車は少なかった。メンテナンスをこまめにやっている成果であろう。

 ウルムチからトルファンにかけては、郊外の砂漠地帯で石油掘削が点々と行われてるのを見たが、主要産業とは思えなかった。通訳の話では、広い範囲で行われているようなので、総産出量としては多いのかもしれない。見た目には主要産業はやはり農業と思える。水の供給があるところでは、広大な面積に、綿花や小麦、ともろこし、ぶどうなどが栽培されていた。
 とうもろこしはちょうど収穫時期にあたり、道路一面に収穫を広げ乾燥させているのが実にのどかだった。また、トルファンでは干しぶどうのための乾燥庫をはじめてみたが面白かった。  日干し煉瓦で風通しよく造った小屋にぶどうをぶる下げ、自然乾燥させるらしい。市場で1kg/9元買ったが、大粒でとても甘く美味しかった。(写真右下)

  今回の旅では、3人の通訳の世話になった。彼らの収入は、600元/月(14円/元として8400円程度)で何とか生活できるという。 トルファンあたりだと800元あればまあまあの生活が出来るそうだ。ちなみに、公務員はというと、1500元くらいというから、役人天国だ。
 トルファンの絨毯工場で、平林さんが日本語を勉強中という若い従業員をつかまえ話を聞いた。彼の月収は400元で、しかも観光客が少なくなる冬場は打ち切られる人もいるという。 例えば、6畳敷きの絨毯が2人で1年かかるなら、人件費は約1万元(14万円)程度なのだろう。 それを日本から来た観光客が百万円で買っていくなら、経営者は大喜びだろう。

 食事代から見ると、13日間で2865元、しかも6~8人でだ。夕食はビ-ル代も入れてまとめて払ったのが200~250元程度、大体30元/人位である。 トルファンの食べ放題、飲み放題の店は30元/人だったが、家族連れでかなり込んでいた。5人で来れば150元とかなりの出費で、お役人の家でも大変そうだ。 それとももっと裕福な人たちがいるのかもしれない。 昼食はビール代コミで大体10元程度だった。昼は一般の人たちと一緒の場所で食べているので、外食では5元くらいが相場なのだろう。

 観光客相手の商売、例えばウイグル族の民族舞踊は200元/人、敦煌の砂丘見物のラクダに乗ると130元/人で、外国人値段だったかもしれないが、 食費に比べるとべらぼうに高い。ぼろもうけの世界のようだ。

 我々は、今回の旅では国道沿いを歩いたが、国道が有料なのには驚いた。高速道路が有料ならまだしも、新疆ウイグル地区のような農村地帯では、 工業製品は全て運ばれてくるのだから、その輸送費はすべて商品に上乗せとなる。 どのぐらいの距離・区間かは分からないが(200km間隔程度?)、トラックだと35元、乗用車は10元 が徴収されていた。社会インフラが有料というのが良く分からない。
それから、小学校と中学校の義務教育が有料と聞いたが、これも良く分からない。

 ついでの話だが、トルファンでは日中の温度が40度を越えると、会社や学校は休みになるという。 西遊記に出てくる有名な火焔山のところでし、夏の暑さは記録的と聞いていたのでさもあらんとおもった。
 そしてガイドに「ちなみにこの夏は何回休みになりましたか」と聞くと、 「0回でした。政府の発表では最高温度はいつも39.9度でした。」には一同笑った。
 <鋼材店、運送店、食堂が並ぶ>
  <路上でとうもろこしの乾燥中>
   <耕運機が大活躍>
   <国道の料金所>
  <ウイグル民族舞踊>   <干しぶどうの収穫>
 6.4 食べ物・酒・その他  
<新疆・ウイグルの食礼賛> 斉藤 篤二 
 ウルムチの夜市、昌吉(チャンジャン)の朝市で豊富な食材を目の当たりにする。 屋台の羊肉、鶏肉、淡水魚や野菜、豆、木茸類、木の実はどれも種類が多く輝いて見える。 若い時ならこういうところの屋台で酒を飲み、ここでしか食えぬものを腹いっぱい食べていたであろう。

  昼食時に一杯メシ屋的な食堂が見つかることもあれば、見つからない時もある。見つけた時は、自然と足が店に向って行く。 そこには夫婦がやっていることが多く、子供か、使用人が手伝う時もあるが大概夫婦食堂である。 目に入るのは大きな竃、排気のこともあって半屋外に出ているのが多い。燃料はLPガスらしいが場所によっては灯油も都市ガスも使っている。 ともかく大きな竃にあった強力な火力はさすが中国料理の地だ。

  店に入ると歓迎してくれる。みな人なつっこい。注文するものはほとんど麺で、餃子の時(漢人の店にしかない)もある。 羊肉とねぎ、ピーマン、葉もの野菜で炒め、にんにく、胡椒他や香采で強い香り付けをする。 この具を麺にかけて食べる。代金は10元(150円)以下、食べきれないほどの量だ。麺は中華麺ではないうどんのような麺だ。
(写真左側上から、のばしているところ、ゆでた麺にに具を載せて、一緒に炒めて)
拌麺(ラグメン)という文字がメニューに出ている。それ以外ではナンである。 しかしこれは食べる機会がなかった。米はホテルのバイキングの粥しかお目にかからなかった。 中国には北米南麺(ベイピンナンメン)という語がある。北は揚子江の北側の意で米が旨く、南は揚子江の南で麺が旨いという意である。 ここ西域はどちらかというと麺であろう。

 晩餐の料理だが、人気は回族料理(回教民族)で種類が豊富だ。中国料理もあるにはあるが、あまり一般的ではないようだ。 この時の酒はビールでは合わない。やはり高粱酒いわゆる白酒でアルコール度数が極端に高い。これが脂っぽい料理にピッタリである。

  私は日本で似たような料理を食べたことがある。目黒権の助坂にネパール料理店がある。そこで食べた料理に似ていて丁度こんな感じであった。 ネパール人の主人と本人の奥さんがやっている感じのよい小ざっぱりした店だ。東京でも回族料理と似た料理を食することができる。
 さて中国料理だがここではあまり食べる機会は少なかった。家庭料理的惣菜を食べた。 本格中国料理は別に置いておいて、ワンゲルには家常料理(ジャーホン)が相性がいい。

 食べ物は、その昔で言うところのペルシャ、サラゼンやインド、チベット、蒙古等はみな似ていると言ってもいいかもしれない。 食の世界ではグローバル化はとっくに進んでいる。

食も歴史や文化と同じで自然と気象にリンクしいている。
空は明るく、眺望は見渡す限り広い。乾いた空気、緑の覆いのない土も時期を選びオアシスにくれば素晴らしい。 その地に適した食が豊富にあり、それを求める人がいる。

 ことさら仲間や異国の人と食事をしながら過ごす時は格別だ。誰も表情は明るく、いい顔をしている。   (写真左下、右側が満足そうな筆者、左は通訳の朱さん)


<解説>
料理のほとんどは、香辛料が利いていて辛い。辛いのに弱い者は、大体泣きを見る。水をがぶがぶ飲み、大汗をかいての食事はつらいものがある。事前に辛くないようにと頼むと、調整して料理してくれるが、辛いのが特徴の料理は食べられない。








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<飲み物> 土屋 淳一
ビール
(啤酒)
乌苏啤酒 USU BEER、10.8度 经典、西安空港では30元/カンだった。
乌苏纯生  
汉斯啤酒

HANS LAGER BEER、 淳厚型(まろやかタイプ)

汉斯啤酒 HANS LAGER BEER、劲爽型(さわやかタイプ )
天山泳爽啤  
新疆啤酒 New Sinjang Beer
西凉啤酒 Xiliang Beer
西凉啤酒 Light
黄河特酿 Huanghe Niang Premium Qualty、ハミと敦煌にて
黄河纯生           ハミと敦煌にて
燕京啤酒 Yanjing Beer
飲料水 娃哈哈 596mlミネラルウオーター
白酒 高粱酒 これは50度、30~60度、値段は10~100元とピンからキリまで
ワイン 吐鲁番红など ハミのカレーズの売店で沢山売られており、試飲したがあまりに甘く買わなかった。

 今回は空気が乾燥しているせいか、皆ビールを良く飲んだ。値段は620ml瓶で、2.5~5元程度。食堂においていない場合は、店の人が買いに行ってくれた。日本のビールに比べるとホップが少なく、アルコール度も低いが、乾燥した地域で水代わりに飲むにはうまい。頼むと、冷えたビールが大体出てきた。
 白酒は高粱かトウモロコシから作られる蒸留酒。通訳の朱さん曰く、「安い白酒(パイジュウ)には添加アルコールが入っているが、皆さんには分からないでしょう。」  独特の臭いにごまかされてか、確かに分からない。

 トルファンやハミ、敦煌などでは、安くてうまい白酒は、土産用にぴったりの品だった。 ところが国内線では、機内持ち込みは不可、スーツケースには2本までしか持ち込めないというガイドの説明。 おかげで、西安へ移動する前夜、敦煌の最後の夜は、一同、持ち帰れない白酒に酔いしれた。
 スーツケースに入れるというのは、これがまた厄介なのである。ウズベキスタンなどで酒ビンの蓋が甘くゆるんでしまうことがあった。 そのため、ビニール袋に包み、パッキングした。それでも、結城さんは衣類が白酒でプンプンとなった。
西安からの国際線では4本まで認められるとあって、平林さんは大喜びでまた買い込んでいた。

 <良く飲んだビール>


  <トルファンのワイン>


   <するめ状態の筆者>

  <食堂のメニュー>

   <高粱酒/白酒>
  7.人々との交流 跡部 輝彦(6期)、 森 正昭(9期)

三道岺手前の砂漠の道を自転車で西に向かう年配の男が時々道端でなにか拾っている。 すぐ横に来て興味深そうに話しかけるので、例の書類を出してサインを求め、チエキで1枚進呈すると 「自分の家は10kmほど先だが、ぜひ寄ってゆけ。三道岺の炭鉱は西北部最大の露天掘りだから興味があれば見学できる。」と紙に書いてくれた。 聞けば、58歳とのことで、65歳の私を感心して見ていた。残念ながら、お宅への招待はお断りした。
拾っているペットボトルは環境整備のボランテイアだそうだ。
道々では、昔懐かしいオート三輪が活躍している姿を見かけた。右は石炭を満載したところ。 (跡部)

 宇賀村さんと「そろそろ昼にしたいが、食事をするところはないかな」と歩いて町はずれまで来た。
大きな体で日焼けした「妈妈」が一瞬不審そうな顔をしたが、直ぐにニコニコと我々を迎えてくれた。
何とか食事したいということが伝わり、歓迎の意味か、ビデオテープを持ってきて、民族舞踊を流してくれる。
 やがて娘と彼女の6才くらいの息子も現れる。子どもは「ぼくウーディ」、4匹の犬は「パオパオ、ニュエンニュエン、ポンポン、ワンワン」と教えてくれた。 「妈妈」が、餃子の数をいくつにするのかと紙に書いてくれたが大きさが分からず、とりあえず10個ずつとした。
出てきた餃子入りの野菜スープは、出汁がきいており旨かった 。 我々の通過証明のプリントを見せると、「あんたたちすごいね」と感心した様子。
 「自分は朝鮮族で、亭主はウイグル人だ」これは分かったが、「あんたたちは泊まる所はどうするの?」は聞き取れずに紙に書いてもらって筆談。
金を払う段になったら、「いいよ、いいよ」と受け取らず、チェキの写真を何枚かとりお礼とした。(森)
  8.健康・安全面の記録  跡部 輝彦(6期)
<安全に関して>
 今回の出発前には、中国各地で日本に対する抗議行動が頻発していたため、我々に対して の反応はどうなのかと、不安とまでとは言えないが若干気になっていたことは事実であった。
 しかし、中国の西部の奥地で中央からは非常に離れていていることもあり、また漢民族が多 くなっているとは言えまだまだウィグル族が中心の地域ということもあってか、少なくとも私 が歩いた前半の歩行中には、そのようなことを感じたことは全くなかった。
 ウルムチで現地旅行社の廖静さんから「新彊ウイグル自治区はウルムチから離れると少数民族が大多数となる。10月1日は国慶節だから、 何か企んでいる人たちもある。少数民族との接触は控えるように。」との、まさに大本営発表の公式見解を伝えられた。
 我々が国慶節に関係すると思われる状況に出会ったのは、ピチャンやハミのような小都市で中国人旅行者が非常に多いこと、 それが今年は新彊ウイグル自治区創立50周年のために10日間の休日(例年は7日間)であること、 そのために銀行のExchangeも停止となっていること、のみであった。
 一度だけ、中央政府高官が通過するとのことで、多数の公安警察が配置され、通行を阻止された(回り道をさせられた)ことがあったのみで、 治安良好は前回の和田報告のとおりであった。
 一方、宗教上の問題や考え方の相違といったことに気を配らなければならず、特に写真を撮 る場合には相手の承諾を得てから撮るように注意しなければならないと感じた。

 今回、安全という観点から一番注意を払ったのは交通に関してであった。 歩行は主に312号線という交通量の多い街道沿いであったため、大型のトラック等がかなりの スピードですぐ横を走って行き、事故に合わないよう路肩に避けて注意して歩く必要があり、 今後も同じような状況が暫くは続くものと思われる。
 しかし、街道を歩いている間は交通に関して危険と感じたことはあまりなく、市街地の方が 危ないと感じることが多かった。これは、中国は車が右側通行のため、我々が慣れていないという面もあるが、それ以上に信 号に従って道路を横断していても、歩行者優先ではなく車優先の様で警笛を鳴らしながらどん どん突っ込んで来るため、日本と同じ感覚では非常な危険に曝されることになるからで、信号 のある交差点でも道路を横断する場合は、地元の人にくっついて一緒に渡るのが一番無難だと 感じた。

<健康に関して>
 健康面で最も注意しなければならないのはお腹の調子、水はペットボトルを購入して飲むか一度沸かしたものを飲むことが基本で、 生水は絶対に避けるべきである。氷もダメ。食べ物に関しては、街道沿いの食堂はお世辞にもきれいとは言えないが、料理は火を通して あるので問題はないように思われた。
 また、果物に関しては、路端で切って売っているものは包丁が怪しいので避けたことも方が 無難で、出来れば丸ごと買って自分達で切って食べるのが良いと感じた。今回は若干調子を崩した人も居たものの大事には至らなかったが、今後とも注意する必要が  ある。

 また、毎日20~25kmを歩くので足腰に負担が掛かることは当然で、特に今回の様に舗装 された道を歩く場合には、靴にクッション材を入れておく等、少しでも負担を軽減するような工夫 をしておくことが必要と感じた。 また、足にまめが出来ることも多くあると思われるため、出来やすい部分には事前にバンテー ジを貼る等の予防措置を講じておくことも有効であろう。   まめに関しては、靴下にも注意を払う必要があり、皺により重なった部分が出来たりしない よう、絶えず気を付けておいた方が良いと感じた。

  9.写真展示 平林工房 選定
                                   <写真をクリックすると拡大できます>
  10.費  用 森 正昭(9期)
   10.1 旅行費用   1人あたり・旅行社へ支払い
項   目 内   訳 備考
金額 円
①国際航空運賃 成田ー西安(往復) エコノミークラス
79,200
②成田空港使用料    
2,040
③現地空港税 西安出国税 90元
1,190
④航空保険    
920
⑤現地国内航空運賃 西安ーウルムチ 空港税込み
30,730
  敦煌ー西安 空港税込み
25,310
⑥総合服務費 日本語ガイド・手配料金・飲料水・保険  
19,200
⑦現地ホテル料金 ウルムチ/朝食付き・1室2名様利用 3泊
10,440
  トルファン/朝食付き・1室2名様利用 3泊
7,740
  ピチャ/朝食付き・1室2名様利用 2泊
4,320
  ハミ/朝食付き・1室2名様利用 2泊
4,320
  敦煌/朝食付き・1室2名様利用 2泊
6,960
  西安/朝食付き・1室2名様利用 1泊
3,420
⑧入場料 トルファン・敦煌  
5,400
⑨車代 送迎・伴走車・ウルムチー敦煌・運転手宿泊代・燃料  
47,400
   10.2 共通費支払 詳細
 
円支払い分
ハーフ参加(10000円*2人)
20000
 
フル参加(17000円*6人)
102000

フル参加・追加徴収(2000円*6人)

12000
 
 地図コピー代  
3000
 中国への土産代
タバコ、ガイドたちへの土産
8400
 連絡費
交通費・郵送料
2000
 元へ両替
9/24に
100000
 CD作成
デジカメ記録
3000
 反省会費用
 
5600 
 
元支払い分
中国・その1からのカンパ入金
952
 
両替による入金
7837(9/24に7000、10/6に837)

 食事・酒費用  
2865
 観光費用
観光・入場料・チップなど
2620
 日本への土産代・資料代
酒・地図など
142
 各自の昼食代
8人へ
1600
 携帯電話レンタル料
2台分
820
 返金
フル参加6人へ
300 
 中国・その3へのカンパ
 
442
  11.中国西部3への申し送り  跡部 輝彦(6期)
1)為替:前回通り。
2)飲食物:前回通り。
3)道路事情

地図は「新彊ウイグル自治区」と「甘粛省」(いずれも630円)を入手して、TPC F-7C(1890円)の上に道路を書き込んで用いることをお薦めする。
現地で入手できるものは大きな都市の市街地図か観光用の大きな地図のみである。 すなわちKazakhstanやTurkmenistanで購入した1/500,000の地図は入手できない。
町の中心を示すキロポストが大きな街ではどこなのか、それによってキロ数が5-10km前後する。
以下に敦煌へ向かう道中でチエックした状況を示す:(地名等は地図に出ている)
*出発点:3,623km;前述の通り。
*ハミの市街への分岐(市街は5km南)のロータリー(Roundabout)がおよそ3,585km。
      *3,532km:モスク風のレストラン
*3,527km:「駱駝園収費站」 レストラン、駐車場、GS. これを過ぎると砂漠となる。
*3,518km:急な下り坂。その先は全くの土漠。
*3,505km: 烟撽 (アンテナ塔)道は南向きから南東に。急坂下り3km。
*3,495-3494km:急坂登り。
*3,488km:レストラン(汚い感じ)
*3,463km:苦水(何もなく、立て札のみ)
*3,453-3,449km:登り下りの連続。(1kmごと)
*3,428km:選鉱場入り口(レストラン?)
*3,427km-3,410km:岩山の間をかなり長い登り、また下り。
*3,404-3397km:岩山の間をジグザグ、登り下り。
*3,395km:「星星峡収費站」レストラン、星星峡賓館(新しく、宿泊できそう)
*3,373-3,368km:岩山の間をジグザグに下り。
*3,329-3,309km:登り下りの連続。
*3,296km:「柳園収費站」、レストラン。東2kmに柳園市街(宿泊できそう?)
      安西へ70km;酒泉へ345km;敦煌へ125km

4)宿泊施設
ウルムチで廖静さんの話の通り、ハミから東は、宿泊、昼食の場所に恵まれない。
彼女は「テントを使って、砂漠で寝ることも1案でしょう」と言っていた。朱さんは「6-8人のトレッキングなら僕が料理します。20人になるとコックと皿洗いを連れてゆきます」と言っていた。

従って、20人乗りのマイクロバスに調理道具とテントと食料を積み込めなければトラックが追加されて高くなる。

5)アプローチ
ウルムチで廖静さんの話では、「ハミはどこから来ても遠い。敦煌から400km,ウルムチから730km。
敦煌からだと20時何分かの列車で3時間でハミに到着。これが一番容易ではなかろうか?車はハミでチャーターするが、朱さんは敦煌まで出迎えに行く。」と言っていた。

いずれにせよ、さらにコスト・アップは避けられない。

6)空路
今回は西安直行との事だったが、直前に北京にて入国審査があること判明。次回も同じだろう。
北京のTransit Loungeは別にあるわけではなく、Transitの出発の表示もないので、降りたゲートの近くにいて、口頭でのアナウンス(場内放送はない)を聞き逃さぬようにすること。北京では入国(出国)カードと税関申告書のチエックのみ(バッゲージは機内にそのままで、西安でも調べない)。

国内便での機内へのアルコールの持ち込みは許されず、チエックインするバゲージにも2本が限度。

7)気象条件
敦煌での話では「公式には気温40度以上では就労しなくてよいことになっているが、公式の気象データは最高気温が39.9度までしかない。」従って、実際の気象データを入手するのは至難の業だろう。

「4月から観光シーズンだが、日本人は5月にならないと来ない」とウルムチで廖静さんの話。

8)リコメンド案
さらに気象データの入手に努力するとして、温度を考えれば時期は早いほうがよいが風を考えると早くても4月後半だろう。
アプローチは成田から北京経由西安乗換え敦煌。敦煌で1泊、翌日まず観光して夜に汽車でハミへ。
ハミで2泊して、星星峡で1泊、次は安西へ。そして休養日とするのがよいだろう。

  12.感想 
中国西部2歩行 感想 (結城)
  中国西部1歩行に引き続いて、中国西部2歩行に参加させて頂いた。
ユーラシアを歩く会のメンバー以外の参加者は私だけであったが 気持ちよく仲間として受け入れて頂いたことにまず感謝したい。

 天山北路から南路に入ると風景も人の顔も大きく変わってくる。 また新たな中国を発見した感じで、その多様さと大きさ、広さを 痛切に感じる。しかし南路は砂漠と駱駝、オアシスから想像してきた ロマンの映像からはほど遠い土と小石の乾燥した荒れ地の連続であった。

 今回歩いたトルファン、ピチャン、ハミ、それと休養日に観光 した敦煌、西安はシルクロードとして日本でも広く紹介されている。 古くからの東西文化交流と仏教伝来の道筋であり、三蔵法師の名と 共に我々自身の遠い歴史のような懐かしさを覚える。

 天山の雪解け水が砂漠(土と小石の荒れ地)に流れ下り、消えて 行く。その水脈の周辺だけがそびえ立つポプラの木に囲まれた 緑なす畑地、即ちオアシスであり、人の住める場所である。  もし異常気象や地震など、自然の気まぐれで水が減ったり 流れが変わったりすると、たちまちオアシスは荒れ地に戻り、 またそこに新たな遺跡が生まれることとなりそうである。 見たところそれを防ぐ大規模な方策が施されているとは見えない。

 観光開発や農耕地の拡大、石油等の資源開発による都市の拡大は、 大量の水の消費と汚染の拡大、自然の景観の変化を伴う。 数千年にわたって自然に寄り添う人間の営みによって護られてきた このシルクロードの自然と文化がここ数年で大きく変貌していくのを 見ないで済むことを切に願いつつ、毎日黙々と真っ直ぐなアスファルト 道を歩いてきた。この変化の無い道が、できれば何時までもそのままであってほしい。
          2005年10月26日    結城皖曠

   子供の笑顔は世界中の宝物
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